2016年7月30日土曜日

「ゲームに取りつかれる子供達」という記事はどうも誤解を生むだけだと思う。

またしても、子供に対するゲームと中毒性という研究結果を出した人がいるらしい。
しかも、本人は。

>「私が1999年に始めた最初の研究は、基本的にビデオゲームに中毒性などないことを証明するのが目的だった。しかし研究の結果、私が間違っていた」

「世界の研究者たちが、この問題について異なる定義付けを行っている可能性はある。また国によって調査対象の子どもの年齢や質問内容が異なっている可能性もあるが、全世界でほぼ同じ結果が出ている」
>「推定値にややばらつきはあるだろうが、どの調査でも全体の4~10%という結果が出ているようだ。私はこの4~10%の子どもたちを中毒と分類している」


と言っているのだが、どうも研究をするのに捉えるポイントを間違えていると思う。
過去、いくつもの研究結果が出されているが、統一した結果は出たことが無い。

そもそも、どこにポイントを当てるか?によって、導き出される答えがほとんど決まってしまうからだ。

ネガティブな要因を探る事にポイントを当てると、結果はゲームの中毒性という答えが出てくる。

逆に、ゲームによって友達が増えたか?とか、勉強に役に立つことがあったか?など前向きなポイントにすると、ゲームは新しい興味を与え、脳に刺激的な発達を促す。という論調になる。

で、さらにこうも言っている。

>「まずA(Autonomy)は自律への欲求、B(Beloging)は他の人々とつながっていたいという欲求、そしてC(Competence)はうまくなりたいという欲求だ」(ジェンティール氏)

この理屈だと、野球、サッカー、バスケットボール、などスポーツも同じじゃないか。w

学校の勉強で他人と成績で競争するのとも変わらん。

「他人とつながりたい。」「上手くなりたい。」という欲求は、人間なら誰しも持っている基本的な行動原理だ。

その行動原理が、ハイテク機器とゲームだけ特別に作用するという根拠が全く示されていない。

家族や友人との会話が減るという事は、ハイテク機器が原因とは思えない。
むしろ、原因は他にあって、結果的にハイテク機器を使ったゲームにのめりこむ時間が増えただけだろ。

ちなみ、ゲーム機がこの世になかった時代に、同じように親や友人と距離を置く人ってのはもちろん居た。

50年くらい前だと、「漫画にのめり込んで現実逃避している子が増えている。」と言われたものだ。

60年前くらいだと、映画や文学に没頭する若者が問題視された。

根本的に問題提起が、同じことの繰り返しなのよ。
新しいメディアやカルチャーに適応できない人からすれば、すべて意思疎通を妨げる原因としか考えない。

そろそろ、この奇妙な関係に気付けや。と思う。

人が他人と距離を置き、言葉数が少なくなる原因とは、ほとんどの場合、自分を否定する言葉が多かったり、口先だけで行動が伴わない愛情表現や個人評価だったりする。

しかも、この奇妙な関係性は、いつも親と子、老人と青年といった具合の上からの押し付けがましい言葉と行動力の末に引き起こされている。

なので、ほとんどが一方的な攻撃に終始している。

そして、この手の記事が出てくると、鬼の首でも取ったかのように、「頭がおかしくなると書いてあった」と言い始める。

子供や青年期にそのように指摘されて、充分な確証と反論すべき根拠を提示できない人は多い。

まず、客観的に自分を分析できる年齢に達していない。

他人と比較するには、せいぜいクラスの友達くらいで、多くのサンプルから得た情報から比較することが出来ない。

それまで、子供として「親の言い分は絶対」という条件下から、反射的に反論が出来ない。

など、いくつもの要因がある。

解明するべきは、家族関係や生い立ちであって、外的趣向でしかないゲームや遊びに没頭するのは、それらが複雑にからんで、内向的趣味へ変貌するからだ。

この手の研究は、やらなきゃいけないが、捉える所を間違えると、大きく逸脱した結果を出し、世間に大きな誤解を生むだけだ。

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