2019年3月28日木曜日

折れないココロ。

最近、ブラッククローバーってアニメを見た。
原作は週刊少年ジャンプ連載中らしい。

アニメは70話くらいで一応止まってるというか終わってるらしいが。
最後まで見てないのでよくはしらない。w

この作品の要となるのは「諦めない」という点だ。
孤児で教会で育った二人の少年が主人公で、片方は風の魔力を持ち、才能あふれる人材で、四葉のクローバーと呼ばれる本を手にするほどの逸材だという。

もう一方は、魔力がゼロで簡単な魔力操作すら出来ないのだという。
それで、子供の頃からずっと体を鍛え続けて来たそうだ。

二人とも目標は「魔法帝」と呼ばれる国王に次ぐ偉い職種に付き、みんなを幸せにすることだという。

この二人を軸に「諦めない心」で強敵と戦い続けてゆく訳だ。
王道のジャンプ少年誌らしい設定だ。

ま、そこは置いといて。w

これを視聴してみて思たのは「折れないココロ」だった。
思えば、オイラも似たような所があって。
小学1年生の時、父親がふと一緒に連れて行ってくれた「よく分からない、何でも屋」みたいなショップでラジコンのヘリコプターを見て「あれが欲しい」と思ったのだった。
あの大きさから考えて、恐らくエンジンタイプかバッテリータイプの本格的ラジコンだと思う。

値段が良く分からなかったが「あれはいくらするのか?」父親に執拗に聞いた覚えがある。
それで「10万円くらいする」と聞いた。
当時の小学生からすると「10万円?」である。w

つまり、値段が高い事は分かっても、それがどのくらいの高さなのかが実感として分からないのだ。

それで、買って欲しいのだけど。
「あれは買ってもすぐ操作出来ない。すぐ墜落する。だから、何台も買う必要があるし、練習が必要。」と言われた。

要は暗に「諦めろ」と言ってたんだろうと思う。

しかし、この時心に強く決意して。
お小遣いを一円も使わず、ずっと貯める事を思いつくのだった。

お小遣いと言っても、毎月決まった金額は無くて。
父親が小銭が溜まった時に50円玉をくれるだけだった。
だから、いつもらえるのか?それさえ分からないものだった。

単純に計算しても50円を何個集めれば10万円になるのか?と。
算数が苦手だったオイラが必死にその時は計算をしたのだった。w

また、いつ貰えるか分からないモノをどうやって、いつまでに、集められるのか?
そんな計算までした。w
前回貰えたお年玉、祭りの時に貰えるお金、たまにもらえる50円を適当に計算に入れて計算したわけだ。
ハッキリ言って、途方もない時間が必要だという事は計算してわかった。

「この調子で行くと30代になっても買えるか?」って感じで。
下手すると40代にならないと買えないレベルだった。

が、その時もう一つの事実を閃いて気付く。
「あ!20歳過ぎれば大人じゃん。大人なら仕事できるじゃん!だったら、給料で買えるじゃん!そしたら、数カ月我慢したら買えるはず!!!」である。w

この時、それを閃いて、安易に「だったら、大人になってから貯めれば良い」と考えるのが普通だろう。
が、なぜだか、「今からずっと貯めてれば、頭金くらいにはなる!後は仕事して稼げばいい!そして、何度墜落しても買えるだけの財力を手に入れる!」である。w

ハッキリ言って「バカ」のレベルかもしれない。
けれど、本気思ったのだ。
そして、本気で欲しかったのだ。
そうして、自分の本気度を試していたのだ。

途中、何度も「お菓子買いたい」とか「ジュース飲みたい」と思った事があった。
夏の暑い日、喉が渇く。
「よし!水飲もう。水ならタダだ!」
腹が減った、なんか食べたい。
「家の食事と学校の給食だけで食おう。それならタダだ!」

他にも欲しいモノはあったし、その都度思いを巡らせたけど。
ラジコンヘリの時ほど腹に決めてやり遂げようと思ったものは無かった。

それから小学5年生まで溜め続けた。
確か8千円くらいはあっただろう。

小学5年生で8千円と言えば、当時としては充分金を持っていたと思うが、自分としての目標は10万円なので「まだ足りない!まだまだだ!もっとだ!」と強く思っていた。

何度も限界を超えて、ひたすら溜め続けたわけだ。

けれど、この頃、父親の事業が失敗した。
家庭は一気に貧乏になった。
そして、ある日。
学校から帰って、自分の机の引き出しを開けるると、そこにいつもならある郵便通帳が無くなっていた。
カギ付きの引き出しだったので、誰かが開けなければ無くなるなんて事はあり得ない。

それで、母親に「無い、無い、どこにも無い!」と探しながら訴えた。
最初は「どこかにあるよね」と言っていたのだが。
あまりにも言うので、正座をして、子供の目線で話しかけて来た。

「そのお金はお父さんが下ろして、みんなの食費に当てたのよ」と。
これには血が煮えたぎるほどの怒りと、絶望感に満ちた悲しみが溢れ出た。

それまでの血のにじむような我慢と努力をすべて一瞬にして無きものにされた気分だった。
そして、なにより、親の誠意の無さに失望した。

家が貧乏なのはわかる。
子供にも。
家族みんなが食べる事は第一優先だってことも。

「けれど、なぜ了解を取らなかったのか?」
「なぜ相談をしなかったのか?」
「どうして?」

という問いに対して出て来る言葉は「それを言うと、使わせてくれないと思ったからじゃないか?」という。
母親としては、夜に一人でお金を数えている姿を見て「この子はお金に汚い子じゃないか?」と思ったそうだ。

全くの誤解である。
目標に向かっていることを確かめているだけだった。

このことは一生忘れられない。
そして、この時、正式な謝罪を受けていない。
両親、どちらにも。
むしろ、泣いて、歯向かう我が子に対して「いい加減にしなさい。仕方が無いのだから、それくらい理解出来る歳でしょ!」と言い放つわけだ。

それから数年後、母親から「あの時は申し訳なかった」という謝罪の言葉が出た。
父親からは今現在もその件について、謝罪すら聞いた覚えが無い。
もう忘れていると思う。

そして、社会人になって30歳を過ぎてから、母親から「あの時のお金を返す」と言い始めた。
それまで一度も「返せ!」と言った事は無かった。

すでに自分の中では、終わった事であり。
今更蒸し返される方が胸糞悪い。w
それでも「返しておきたい」という。
だから「勝手にすれば!」と言っておいた。

なにが理由かと言えば。
「誠意」と「謝罪」の問題なのだ。

この二点をあの時、キチンと筋を通してさえいれば、別に構わなかったのよ。
使う事もためらったかもしれない。
けれど、最終的には受け入れたと思う。

このプロセスを抜きにして、時間が経過してから罪の意識が芽生えるという点において「すでに遅すぎた!」としか言いようが無いわけだ。
失った信頼は取り戻せない。

しかし、因果なもので。
30を過ぎた頃、おもちゃ売り場に転属となり、そこで新たにラジコン担当となって、ラジコンヘリを扱うことになる。
そして、仕組みを理解して販売する為には買わないと分からなかったので、自分で買って調整の仕方を勉強をした。

メーカーとタイアップして、イベントも企画する事が出来て。
その時の熱意と実績を見てメーカーさんから、上位モデルを無償で与えてもらえたのだった。
あの時「あの、なんで?これ来てるんです?」って聞いたら「あなたの販売の熱意、そして実績を考えたら、きっと役立ててくれると思うので、後はお任せします。すでに稟議は通していますので、お気遣いなく。」という言葉だった。

まるで時空を超えて、あの時の自分の貫いた意思が舞い降りたような気がした。
「折れないココロ」それは、時に時間さえ超越して、必ず自分の元へやってくることがあるのだ!と気づかされた。

もちろん、その借りを返す為、毎月販売実績を積み上げた。
だから、それからも何度かイベントでメーカーから協力を得られた。

このアニメを見ていると、ふとそんなことがあった事を思い出したのだ。
また、それ以前も、それ以降も、何かを成す為の時、「諦めない」という強い意思で乗り越えて来たと思う。

それが「やるべき事を、あるべき姿で、やり続ける」という究極の三原則に至ったと言える。

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