不思議に思うことがある。
恐らく、世の中のほとんどの人は小学校、中学校、高校までを過ごし、一部では大学や専門学校、短大まで学生生活を過ごして大人になったはずだ。
けれど、社会に出たら「仕事が出来ない」「実績が上げれない」「挨拶も出来ない」ってのがゴロゴロいる。
「6・33で12年♪」と小泉学習机のCMを記憶しているけれど。
まあ、僕も12年は学生生活送った。
学校で習った事と言えば「挨拶をしなさい」「大きな声を出しなさい」「これを覚えなさい」ってな具合で。
学芸会なら「体全体を使って演技をしなさい」だったし。
運動会なら「力の限り、全力で走りなさい」だった。
好きな授業や科目があるなら「それを伸ばしなさい」とも教わった。
けれど。
他の人は何を教わったのだろう?
店に立てばじっと黙って立ったまま、お客さんに呼ばれるまで待機してたり。
「給料入ったらどこへ行く?」と遊ぶことばかり考えて。
SNSでは不平不満を言い「働きたくないでござる」という。
僕の父親からは「人間、一生勉強やぞ」と教わった。
僕は小学生の頃「この世界を生きる説明書ってどこにある?」と父親に聞いたことがある。
父親は「それは六法全書ってのにすべて書いてある」と教えてくれて。
僕は「それ見たい」と言ったら「あれは高すぎて買えない」と言われた。w
だが、今やネットの時代、六法全書も検索すれば誰でも読める。
僕はすべてに目を通してないけど、犯罪が起きた時は刑法を調べるし。
世の中に間違った解釈や考えがあると思うときは「ルールはあるはず?」と答えを探して検索しまくる。
僕は学校の勉強は大嫌いだったけど。
こと自分に関わる事に関しては、未だに覚えているし、新たな知識を得るために調べて学ぶことを止めていない。
会社に在籍してた頃は、朝から晩まで一日中、客がいよう、いまいが「いらっしゃいませー!」とデカい声を出しながら仕事をしてた。
商品を磨きながら、待機して。
お客さんが入って来たら、速攻一番「いらっしゃいませ」だし、店から出てゆく人には「ありがとうございました」という。
こんなこと、学校で12年間、授業始まる前に「起立、礼、お願いします、着席」とやらされ続けただろ?
まして授業が終われば「起立、礼、ありがとうございました、着席」と毎授業やったで?
「お前ら一体、何を学校で学んだんな???」と僕は思う。
数式、年号、元素記号覚えるだけで、道徳は覚えなかったのか???
学校でテストをすれば90点、100点と取るような秀才君は、なんで社会に出たら、営業成績で達成率100%に乗せれないの???
僕は中学、高校と0点、5点、10点、15点しか取ってないけれど、高校生でゲーム販売の仕事をさせれば、1年で1億づつ売り上げを伸ばすとか出来たで?
肉屋でバイトした時なんか、売り上げが低迷し始めてて「本部では閉鎖を検討」してたのに。
僕が学校終わって店のバイトに入っただけで、3か月で売り上げ爆上げして、それを評価され時給も最短3か月でアップした。
社会人になって家電量販店に勤務して、赤字店舗へ転勤した時なんか。
全部門、売上未達だったけど、僕が転属して、僕が仕切る売場だけ、毎月、達成させてたで?
僕が散々「学校の勉強が出来ても、仕事が出来なきゃ使い物にならん」って断言できるのは、そこまでやったから。
これは秘めたる想いだったけど「自分の学力の無さは、やる気が無いだけで、そのリソースをすべてどこへ振るか?そして、結果で証明して見せる」という考えがあったからだ。
学校の勉強はつまらんよ。
「A君はB君の家に行くために、徒歩で5km、C君は自転車で15kmを走った。この時の時間を答えよ」
バカですか?www
こんな日本語、誰も使わねぇよ。
そして、例題として不適切だと思う。
算数に足らないのは「国語力」。
国語力の無い設問しか作れない文部科学省はアホ揃いだと僕は思う。
「りんごが3つありました。みかんが3つありました。合わせるといくつになるでしょう?」
バカですか?www
りんごはりんご、みかんはみかん。
合わせる必要がどこにある???
同じ質問するなら「リンゴが3つありました。さらに3つりんごを買ってきました。合わせるといくつでしょう?」の方が理屈に合ってる。
算数ってものは、国語力が無さすぎていつも「ばかばかしい質問」だと思ってた。
実は小学校5年生の1学期、全科目で良い点数取ったことあってな。
家に帰って、宿題もしないのに、この時だけは、宿題もやったし、予習もやってたの。
それで期末に渡された成績表を見て、僕は納得がゆかなかった。
5段階評価で一番下の5ばかりだったからだ。
この時ばかりは、学校の担任に詰め寄った。
「これはおかしい」と。
あまりにしつこく、本気で怒る僕に、教師はこう諭した。
「成績評価の数は、枠が決められていて、本当は全員に1を与えてあげたいくらいなんだけど、それが出来ないんだ」と。
「だから、1も2も、3も4も5も、を取れる人は数は言えないけど、あらかじめ決まっている」と。
そしてさらに怒る僕に「宮本には言うけれど、成績表の点数に厳しい家庭がある、その子らは一定の点数を取って帰らないと、食事を抜きにされたりする。けれど、宮本の家はそこまでじゃない。」と。
これは、ハッキリ言って「裏切られた」という気持ちしか湧かなかった。
そして「どうせキチンと勉強して、実績出しても、正当に評価されないなら、僕は学校の勉強を金輪際しない!」と決めたわけ。
けれど、高校生になって仕事をして、実績を出すと、周りの大人たちは正当に評価を下してくれた。
時給を上げるとか、仕事を任せるとか、権限を委任するとか。
社会に出ても同じだった。
世の中で不平不満を言っている人らに聞きたい。
「あなたは、本当に、他の誰よりも、とびぬけて実績あげましたか?」と。
そして、「それで裏切られたのですか?」と。
もし、そうなら「早くその会社を辞めろ」と助言する。
正当に評価してくれる会社にいた方が、精神衛生的に良い。
それがどんな仕事であれ、正当な評価があるなら、あなたに合っているのだから、やるべきだ。
そして、「仕事で相手に舐められるな」。
僕のことを格下だと見下して、舐めた態度や口をした奴は、社会に出てもいた。
けれど、どうやっても僕に追いつけない実績を毎月、毎年、ずっと出し続けてたら、いつの間にか立場が逆転してた。
ある程度力業かもしれんが。
とはいえ、「やるべきことを、あるべき姿で、やり続けた」結果である。
裏技とか、セコイ事はしていない。
むしろ、人より多くの困難な案件を、率先して引き受けてたくらい。
それで貧乏くじを引いたこともあったが。
誰か正当に評価してくれている間は、自分の居場所は自分で作ってるから、不動でいられる。
学校のように腕力や学力で人を見下すような連中もいたが。
果たして、あいつらは社会に出て、今頃どうしているやら。
SNSで不平不満を口にしてるのは、案外、そういう連中かもしれない。
今日「死ぬまで働かせられる社会」というハッシュタグが出回った。
「働きたくない」という発言が多い。
僕は「奴隷根性」だと断言した。
「仕事は楽しく、面白く、充実したもの」というのが僕の仕事に対する思い。
今は病気をして、満足に出歩けないので、仕事が出来なくてストレスでしかない。
正直思うよ「世の理不尽。働きたい人物には死に至る病を与え、働きたくない人物には五体満足なのに不満を言う」
「なんなら、今すぐ僕と身体を入れ替えてくれ」と言いたいくらい。
毎日、寝たきりみたいな生活をして、病院通いをする生活のどこが楽しい???
どうせ死ぬなら、僕はゲームのパッケージが並ぶ、売場で死にたい。
それくらい、ゲームを売る事に執念を抱いて、戦ってきた自負がある。