2019年7月19日金曜日

人によって頑張り方はあると思うけど・・・

TLに仕事を「自分は3分だけやろうと決めてる」って話が流れてきた。
理由は、長続きしないからなのだそうだ。

つまり、3分なら続くわけで、3分続けば、もう3分続く、最終的には最後までやり遂げられるというものらしい。
それで自分のペースが作れるなら、それもいいと思う。

ただ、オイラの場合は「基本、頑張らない」である。
そして、その根底となる方針は「やるべきことを、あるべき姿で、やり続ける」である。

この方針については、多少説明が必要らしく。
様々な人から「どうやったらあなたのように出来るのか?」と聞かれているのだけど。
そのたびに、上記の3つの指針を提示してるのだ。

恐らく、「やるべきこと」と言われて、頭の中で考えなきゃ出てこない人がほとんどだろう。
オイラのいう「やるべきこと」というのも、そもそも多岐にわたる。
それは営業なので「売ること」だったり「時間を厳守すること」だったり、あらゆる事象すべてを指す。

「あるべき姿」というものは、自分を客観的に見るものであって、常に「これでいいのか?」という疑問を持つことだ。
言動、行動、考え、それらがあるべき姿なのか?常に疑問を持っていれば、途中で気持ちが途切れることもない。

そして最後に「やり続ける」。
これは、一切手を抜かないってことだ。
いつも同じ力で、同じ方法で、同じ配分で、呼吸をするように、上記の行動や動作を一部とするってこと。

さて、ここまで説明したところで、たいていの人が言う。
「がんばります!」とか「いつもがんばるんですね!」である。

根本的に間違えている。
よく考えて欲しい。
「お前は呼吸をするのにがんばるのか?」である。

喉が渇いて水を飲みに行くのに「がんばるのか?」であるし。
トイレに行きたくなってトイレに行くことを「がんばるのか?」ということだ。
食事をすることを頑張る人は普通いないだろう。
せいぜい、病気でもして熱を出してる時くらいだろ。w

いかに自分の所作の一部に組み込むか?
単にそれだけだ。
だから、「がんばる」必要は全くない。

毎朝起きて布団をしまう人、掃除をする人、食事を作る人、そういう人が毎日頑張ってると思うか?w
そんなものは、生活の一部として所作の一部に組み込まれてるに過ぎない。

だったら、自分の仕事も所作の一部に組み込めばいい。
時間が来て起きて、仕事に出て、電話して、書類書いて、接客して、説明をして、販売実績に結び付ける。
なぜ、一つ一つ、それらを頑張る必要があるのだ?

人間なんて、頑張ろうと思っても、短期的にしか頑張れない。
1年間ずっと頑張るって身体と精神に負担がかかりすぎる。
だから、ノイローゼになったり、ストレスで精神が病んだり、肉体的に不調を起こす。

世間一般的には「テキパキとこなす」という言い方になるのだろうけど。
それは、所作として身に着けているだけである。
無駄のない動き、決められた動作、力まず、自然体にこなしている。

ある意味、武道の型みたいなもんで。
それを究極まで昇華させるわけだ。
それを英語で「マスター」と呼ぶんだろうけど。

そこまで地道に基礎から身に付けるってことをやり続けてたって事だ。
楽ではないよ。
けど、一切手を抜かないから、余計なことも起きないので、流れに沿って動くだけだし。
ある意味、肉体的、精神的には楽だよ。

逆に、止めたとたんに辛くなる。
マラソンの練習を数日サボるだけで、しんどくなるのと同じ。

つまり、休憩時間と休日以外は、ずっと同じ所作でやり続けてるってこと。
休みだけはきちんと取る。
何があっても取る。
人から文句言われようが、周りが忙しかろうが、状況に流されないってこと。

そしたら、毎月結果は出る。
結果に波は出るけど、それは繁忙期と閑散期による波であって、個人の活動量の波ではない。

そうなると、客数が多かろうと、少なかろうと、数字で割れば、ずっと10%なら、10%という数字をキープしてんのよ。
営業ではこういう安定感が非常に大事。


0 件のコメント:

コメントを投稿