2025年8月17日日曜日



 ゲームもアニメも漫画も

「前例がない」という時代が一番面白く


作る側もある程度自由に作れるが

見る側も自由に「こんなのあったらいい」と思いながら見ている


「アクションゲームとシューティングゲームをカセットを入れ替えて遊ぶのではなく

一つのゲームで遊べたらいい」とか


「ゲームの中で人生を楽しめたらいいな」とか


そんなことを思っていたのは30数年前の出来事だ


今では思ったままのものを作ることが可能で

AIの進捗次第では、ゲームも指示命令だけで、ある程度のゲームが作れる時代になるかもしれない


ただな

それって「面白いか?」と感じる


出来るか?出来ないか?の境界線だから面白い


「出来る」だけになると

あとは「やる気」だけになるんでな


そんな現実的な所に持ち込まれたら「夢」じゃなく「現実」なのな


その現実と向き合える人だけが「クリエーター」になれるわけで

現実と向き合えない人はいくら夢想しても「クリエーター」にはなれないのだ


これは営業にも言えていて

仮説を立てて、その仮説に基づいて商品展開、展示展開、訴求展開を行う

いくら「あれがあればいい」「これがあればいい」と言ったところで

現実を知らない人(素人)には、『タダの思い付き』にしかならない


この「タダの思い付き」という事を自覚することなく

プロと同等の立場に立っていると勘違いしている人は多く

どこまで行っても「真似事」でしかない


真似ているだけで、その神髄には近づいてもいないし、触れてもいない


職人の域に達するには、それ相応の時間と経験が必要で

そこにセンスというものまで必要とする


過去、俺自身を思い起こせば

「ゲームを作りたい」と思ったが

現実的に「では?なにを?」と自問自答すると

答えが出ない


幼少期の俺は「なにものなのか?」まったくわからなかった

そりゃそうだ

小学校、中学校、高校では、自分が何者かを知るような基準となる指標すらないし

そういう事も教えてはくれない


勉強は嫌いだし、宿題もやらない、走ってもドンケツで、運動はどれもパッとしない

身長は高く、体格はいいので、「運動できそう」とか

眼鏡をしているので「頭良さそう」とか言われるが

中身は「全然」なわけだ


でも、営業をやると

「あれはこうでないと売れない気がする」

「汚い店には悪い客しか集まらない」

「でかい声であいさつする店には活気が出て、万引き客や悪い客層は逃げ出す」

なんて、事を考える奴で


それを考えるだけではなく、実行に移してしまう

それを高校生の時代からやっていて

その思考はすでに小学校、中学校からあったわけだけど

「職場」「売場」という場所には入れなかっただけなのだ


ここはセンスだったとしか言いようがない

しかし、センスだけだった高校生

「売れる」「売れない」の二択判断ばかりしていたが

ブルート呉店の店長は「にぎやかし」とか言って

余分に新作の発注数を増やす


俺には理解しがたかったが

今思えばあれが正解だと思う

正しくは「新作をばら撒かないと、中古として帰って来ない」だ

新作の販売は1本1回こっきりだが

中古の販売は販売、買取、販売、買取の繰り返しになる

ある程度の数を市場にばら撒かないとこれは成立しない


店長がそこまで考えていなかったことは、言葉からもわかる

「にぎやかし」つまり、新作発売日に数が少ないと寂しいという意味だ

けれど、神髄に近い事をやっていたわけだ


俺はこれを高校生の時に経験していてよかった

頭を勝ち割られるような衝撃を何度か受けていたからだ


ゲームショップの売場についても

まだ、秩序が存在しない時代だった

コーナーに「ファミコン」「メガドライブ」「PCエンジン」なんてだいたい区分けされた程度で

看板すらない


店によっては「任天堂」「セガ」「その他」みたいな区分けすらあった

これだと、ファミコンもゲームボーイもスーパーファミコンも同じ棚に入ってたりな

店規模も小さかったから、そんな店はゴロゴロあった


RPG、STG、ACTなんて風にジャンル分けもしてない


この時代に「ジャンル分けしない?」とか提案してたわけだ

商品の棚の並べ方も規則性は無く

そこに「本屋やレコードショップみたいな並びを参考に」とか言っていて

結果から言えば本屋のような並びが正解だと気づいた


レコード店は「あかさたな」準だが

本屋は「十進部類法」に基づいている

図書館とかはこの方法で区分けされている程


当時、「十進分類法」なんて言葉すら知らなくて

単純に「これがわかりやすい」ってだけで見つけた方法だ


頭の中にあった展示例は本屋、レコード店、レンタルショップ、家電量販店、スーパーとかだったが

最有力だったのが、本屋とレコード店だった


これに気づくのは「センス」以外に言葉が見つからない


他にも一番売り上げを稼ぐ(数が出るソフト)と一本しか売れないけど、その他になるようなソフトの区別をどうつけるか?と考えていて

これも後に「ロングテールの法則」と合致する事に気づく


だらだろうが

ブルート呉店ではブルート全店でトップクラスの売上を叩き出していたし

デオデオ時代のネバーランドでも、俺が在籍していると達成率で全店トップクラスの成績だった


このやり方は30年ずっと変わっていない


他にもこの30年で言い続けていたことがある


・デカいコントローラのハードは売れない

・3Dは一過性

・VRにもう金脈は無い

・eスポーツは日本には根付かない

・ダウンロードのゲームは焼き畑農業

・メーカーが中古市場を否定する事は自分の首を絞める

・客層を広げる事を考えろ

・日本のメーカーは日本のセンスでゲームを作るべきだ


これらを言い始めた頃、必ず「そんなことはない!」と真正面から言われたものばかりだが

今見てどうだろう?逆に反論の余地は無くなりつつあるのではないだろうか?


これらを真逆の事をしてくれて、結果的に俺の考えが正論だったと証明してくれたようなもんだ


早い段階で、何度も、ずっと、言い続けていて

ようやく、世間が、会社が、ユーザーが、みんな気づき始めている


たぶん、俺みたいな現場職の人間がいくら言っても聞く耳持たないらしい

恐らく、学歴があって、有名大学でも出たのが、論文でも書いて、ようやく認められるんだろうが

俺からしたら「すでに出た結果をまとめた論文だろうが!」とさえ思うw

誰もが反論してくる時代に、これらの持論を展開してた人の言う事の方が、よっぽど有能だろうがな


ここ最近でも発売前に発言してたのは


・switchは売れる、たぶん、売れる、恐らく、売れる、売れる要素しか見当たらない、これで売れなかったら、俺は二度とゲーム売り場に立てない

・PS5言う程売れんと思うで?

・switch2は最初から売れる事が分かっているから、前ほど混乱しない、すぐに収束するし、5万円もするハードがポンポン売れ続けるわけがねぇ


これらも直近のハードの販売傾向だが、ほぼ当たっている


俺が見ているのは市場と客層

ここだけ見てたら、だいたいの予測はつく


さて、ここまでの事を誰かに継承出来ればいいのだけど

誰にも継承できないってのは残念だ


これらの経験、センス、すべて自分の中だけで完結しそうなのね

世の中には、これらを欲しがる人は少ないだろうけど、いるはずなんだけど

少なすぎて、見当たらないw

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