2021年10月8日金曜日

すぎやまこういち先生が亡くなって、世間の騒ぎ方に違和感を感じること・・・

 マスコミが「すぎやま先生はゲームミュージックの先駆者」的な扱いをするから、若い世代は鵜呑みにしてる感じがする。


ゲームミュージックが花開いたのは、もうその数年前からで、アーケードではFM音源を搭載してサウンド面は大幅に強化されてた。


アーケードの名作、名曲と言われるスペースハリアーは1985年12月だし。

ファミコンオリジナルゲームで、未だに根強いフレーズを持つ、スーパーマリオブラザーズだって1985年9月。

これ以外にも、名曲と呼ばれる作品はいくつかある。

そうなると、ドラゴンクエスト第一作目は1986年5月なんでな。

後発組に入るはずなのよ。


ただ、ゲームの音楽の扱いが決定的に変わったと思えるのは1985年が境目で、それ以前と、それ以降では、かなり扱いが違うと感じる。


この「扱いが変わった」という現象を裏付けるのは、1984年にサイトロンレーベルから「ビデオ・ゲーム・ミュージック」が発売されてからだ。


これはナムコアーケードゲームから音源を拾った初のゲームミュージックレコード。

ゼビウスやパックマン、などが収録されている。


この時のヒットから「ゲームミュージック単体でも売れる」となり、アポロン工業からも1986年5月に「オリジナル・サウンド・オブ・グラディウス」が発売され、次に同年10月に「組曲ドラゴンクエスト」が発売されている。


これ時系列知ってないと、ホントとんでもないお話よ。


この後、ゲーム会社各社からアーケード、パソコン、ファミコンなどのサントラが発売されるわけだが、同時に音楽活動が認められて、矩形波倶楽部、ZUNTATA、S.S.T BANDなどが結成されるわけだ。

そして、すぎやま先生はドラゴンクエストの交響曲をコンサートで開いたりしていたし、各社のゲームサウンドチームが結成した「ゲームミュージックバンド」は、「ゲームミュージックフェスティバル」という合同で開催するコンサートを数年間続けたわけ。

この生演奏によるコンサートが行われたのは、「ゲームミュージックフェスティバル」だと1990~1995年の間。

ドラゴンクエストの交響曲コンサートは、もう古い事なので、記憶が頼りなのだけど、確か1988年だったように思う。(間違えてたらすまん)

ドラゴンクエストⅢとほぼ同じ時期にやってたような記憶なんで。


もう一つ、「題名のない音楽会」というテレビ番組で、ドラゴンクエストのオーケストラを披露したのは、これもうろ覚えなんだけど、1990年ごろだったはずで。

スーパーファミコンでドラゴンクエストVが発売されるちょい前か?それくらいの時期に近い頃だったと思う。

他のゲームミュージックバンドが、テレビに出演しないのに対して、すぎやま先生はドラゴンクエストをテレビで生演奏を披露したという点においては先駆者だ。

また、継続的にドラゴンクエストのコンサートを続けられたのも、すぎやま先生の功績が大きい。

他のゲームミュージックバンドの場合、会社の社員であるという状態なので、自由に音楽活動が出来なかっただろうという事は理解できる。

そして、メンバーが退社に伴う事で、版権は会社に残るが、自身は独立や他社へ行くなど、集まれない環境になったことも要因だ。


ただ、昨今、「ほぼS.S.T BAND」とか「ほぼ矩形波倶楽部」とか、そういう形で、会社に許諾を得て自前でコンサートを開く活動がなされている程度。

そこはもう、「資金力」や「版権」の問題で、すぎやま先生とは、明らかに立場が異なる。


偉大な作曲家が亡くなった事は、とても惜しいのだけど。

時系列を追って、きちんとした知識だけは知っておいて欲しい。

そして、他にも多数の敬意を払うべきゲーム音楽を支えた人らがいることも忘れてはならないと思うのだ。


それが結実したのが、先の「東京オリンピック」かもしれない。

すったもんだで混乱があったにせよ、開会式に使われた音楽はゲームミュージックだったからだ。



0 件のコメント:

コメントを投稿