化物語を見直して思い出したけど。
テレビ放送は2009年7月頃。
確かテレビ放送は12話で完結していて。
「つばさキャット」って題名なのに、唐突に戦場ヶ原とデートする話になって、OPも最初の「staple stable」に戻ったんだった。
いい終わり方した半面、妙な違和感だけあって。
つばさキャット其ノ壹なのに、なでこスネーク直後ってことで、八九寺が忍をミスタードーナッツ前で見かけたという前振りもあるのに、つばさキャット其ノ貮で、いきなり戦場ヶ原とデートになるわけだ。
今思えば、デートの最中、父親の運転するシーンが長く、尺をあそこで使ってるんだと気づく。
確か、製作が間に合わなかったはずで。
本編12話放送終了後に、特番だか、なにかで「続きを製作している」ってのを見た。
たぶん、NHKの取材だったような・・・?
その時「回収できるかどうかも分からないものを作ってる。いつ公開できるかわからない。どういう形になるかわからないが、いずれ表に出す」ってお話を監督だったか、プロデューサーだったか、語っていて。
まだ描いてる途中の作業風景を思い出す。
結局、続きになるつばさキャット其ノ參~其ノ伍は、WEBで配信ってことになって。
2009年11月ごろには。
どうやって見たのか?覚えてないが、ちゃんと続きをみた。
この頃はWEB配信ってものに、まだ慎重な時代で。
かつ、どうやって配信すべきか?論すらまかり通っていたし、違法アップロードもあちこちにあった時代だった。
なので、企業側は「配信は有料」という風潮の元。
ちょうどこの時期、カップヌードルのCMで起用された、大友克彦の「フリーダム」がWEBで有料配信されてたはずで。
調べると2006年だった。
その時、続きとなる化物語は、無料配信されていたはずなのだ。
それで当時「ああ、これからは有料配信の時代じゃない」と気づかされた。
どういうことか?というと。
「新たな収益源を見つけて、無料配信せねば日本の映像コンテンツは廃れる」ってこと。
なので、この後だったと記憶してるんだけど、USENがGyaoを立ち上げる。
この時「発想は間違ってないけど、専用チューナーのようなものが必要な装置なのは、普及しない」と思うのだった。
当時は今と違い、専用の機器にLANケーブルを接続する必要があった。
今のようにPCやスマホなどで見れるようになるのは、USENからYahoo!に経営会社が変わってからだ。
当時、会社的にUSENと組んで、強力に販促活動をすることになったのだけど、USEN側が大幅譲歩をしていて、とにかく契約書を書いてくれればインセンティブを支払うって格好になっていて、さらに3か月以内なら返品OKで違約金も無しって大盤振る舞いをしたのだった。
この時、ちょうどオイラが2009年ごろで、佐賀にいたころだったはず。
会社命令なんで、「全員、返品してもいいから契約しろ」ってんで契約して、一応取り付けをして操作もして、数か月利用もしてみたのだ。
利用して思ったのは、ハッキリ言って「コンテンツが足りてない」に尽きる。
次に装置がWEBに繋げるためのブラウザ的なものであり、しかも内蔵CPUが遅いのか?反応がめっちゃ悪かった。
リモコンで操作して、2秒くらい遅れてカーソルが動くレベル。
「定額見放題」「オンデマンド」って事は理解したし、今後の標準になることもわかったけど、コンテンツが足りないのと、毎月追加されるものが少ないってのがある。
かろうじてアニメに少し強かったけど、それでも少し新しいくらい。
映画となれば大作は少ないし、新作も少ない。
「これじゃ成功せん」と思った。
ただ、「恐らく、これ日本が主導権握ったら世界で勝てるけど、海外の方が法的にも企業的にも先にやってくるはず」と思っていた。
なので、そのあとすぐに海外では、NETFLIXが台頭していたことは知ってたのだけど、「まあ、まだ先よ」って思っていたの。
結果を言えば、それらすべての予想は当たった。
契約金無し、違約金なし、3か月無料で、返品もOKとなれば、使いもせず、「接続方法が分からない」という声もあって、USENは大量の返品を抱えることとなった。
そうこうしているうちに、2011年3月11日がやってくる。
あの日を境に、日本はyoutube市場に切り替わる。
テレビが一斉に津波と地震、災害情報に全局特化したためだ。
もし、あの時、テレビ局がデジタル放送の強みである「3チャンネル」をフルに使って、災害と通常番組の同時放送をしていたら、日本の配信ビジネスは5年10年は平気で遅れていたに違いない。
3.11の時、何が起きたか?と言えば。
「レンタルビデオショップからすべてのビデオ、DVDがレンタルされた」ということだ。
1本も借りられないレベルで。
当然、アニメ専門チャンネル、時代劇専門チャンネルなどがある、CS放送の契約も伸びた。
今思えば、USENがもし、2011年3月のタイミングでGYAOを同じ条件で立ち上げていたら、間違いなく歴史は変わっていたと思う。
しかし、この時、小学生らは自分らで「youtube」を見つけて、「ここなら面白い動画がいくらでもある」と気づくわけだ。
大人の中にも、気づく人らがいて。
自由に投稿できることから、「暇つぶしに」と、動画制作をして投稿する者が現れた。
その代表格なのが「さよなライオン」で。
元はACのテレビコマーシャルを改造したものだった。
自粛によって、すべての企業広告が姿を消したため、すべてACの広告に差し変わったため、「同じCMばかりで鬱になる」とさえ言われたのだ。
これを変形ロボットにした「さよなライオン」は爆発的再生回数を誇り、その後、登場する他の動物たちも変形ロボット化するという作品が、様々なひとによって作られる。
かくして、日本の動画配信ビジネスは、奇しくも地上デジタル放送切換えとなる2011年において、動画配信&動画投稿の時代へ突入してしまうのだった。
そういう意味では、化物語が10年以上続くコンテンツとして続編が作り続けられ、今では当たり前のようにWEBで期間限定とはいえ無料配信される時代になるっていうのは、「時代」というそのものを反映しつつ、ヒットした稀な作品だと思えるのだった。
0 件のコメント:
コメントを投稿