人間てのは、ある種、似た者同士が集まる傾向にあるわけだが
その根本的な理由を考えた時
恐らくだが「同じものを捉えることができるか?」だと思う
どういうことか?というと
人間と言う生き物は、会話することが出来る
この時、その場に無い物を、会話で相互に理解することが可能だ
例えば
「昨夜は焼き飯と味噌汁を食べたんですよ」
この文言だけで、食卓に何が並び、何を食べ、どういう味だったか?までは、ほとんどの人が想像がつく
これが
「昨夜はACイメージファイトで遊んで懐かしんだ」
なんてことを言えば、わかる人にしかわからなくなる
このわかる人にしかわからない会話が成立する者同士が集まるわけだ
「人間は想像の生き物」だという
その通りで、想像したものが脳裏に浮かばない相手との会話は成立しない
これも憶測ではあるが
よく「アニメはよくわからない、苦手」という人がいる
その苦手意識というものは、「そこに実在しない」という部分では無かろうか?
昨今、アニメの題材もリアルなものが増えていて
ゆるキャン△のように、実際ある町で、実際あるキャンプ地での出来事が主軸だ
これなら想像しやすいのではなかろうか?
以前だと、架空のファンタジー世界、SF近未来、異世界、架空の町、架空の都市、架空の国家などが主な世界観だった
これにまず「想像」がついて行かない人たちが一部いると思うのだ
よく、俺は「野球バカ」なんて揶揄するのだけど
なんでも、かんでも、野球に例える人がいて
俺は野球に興味無いから、言われても意味が分からないのよね
でも、相手は野球に例えれば、誰にでも伝わると思ってる
先ほどの「昨夜はACイメージファイトで懐かしんだ」だが
あれは正確に言えば「昨晩は昔遊んだアーケード版イメージファンとをプレイして、30年以上ぶりだったので懐かしかったよ」と言えばいいのだ
このように言葉の伝え方ひとつで自然と人は集まるか、離れるかが決まって行くのだろうと思う次第だ
なので、会社の会議などでも
退屈そうにして、ちゃんと聞いてない人がいるのは
聞いてないというより、頭に入って無いのだ
いくら、図解や文字や言葉で説明しても
それで理解できる人と、出来ない人がいて
理解できない人が、現場の足を引っ張るわけだ
世間ではこういう人を「バカ」扱いするのだけど
元々、そういう元になる素養、データ、経験が不足していたら、誰でも陥る
未熟で未経験なのだから、まずは現場で身に着くまで実践させなきゃ、いつまでも同じことの繰り返しだ
あとは本人のやる気次第だが
こればかりはどうにも手助けする方法がない
結局、人は自分の興味のあるもの、理解できるものに集まろうとする傾向はある
「合わない」と感じるなら、早めに見切りをつけてしまった方がいい
いくら言っても、いくら時間を費やしても、「わからない」人にはわからないのだ
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