ONKYOの倒産、少し話をしようか。
僕が具体的に考えていたのは、「サウンドボード」的なものとか、外部スピーカーとか、多岐にわたる。
当然、マイクやヘッドフォン、プロ用機材とかもだ。
で。
あの頃だと、まだPC9821が主力だったし、その後、DOS/V互換のバリュースターになっても、NECの牙城が一番高かった頃だ。
それまで日本で「サウンドボード」と言えば「YAMAHAのFM音源ボード」とか「RolandのMIDI音源」とかが主流で。
DTMは多少高根の花だけど、まだ他社が入り込む余地はあったと僕は思ってる。
実際、YAMAHAが初音ミクを投入して成功しなければ、今のYAMAHAはありえない。
RolandもPC向け需要に対応したラインナップを強化して、今に至るわけで、少しでもPC需要を見誤った事をすれば危機に瀕してた可能性はある。
で。
この頃、弱小メーカーで無名だったのが「クリエイティブ」だ。
今でこそ、PC用音楽機器だと、そこそこ名の売れたメーカーだけど。
90年代だと全くの無名だった。
作りも安っぽいものが多くて。
「これ大丈夫か?」と思えるような代物が多く。
とても高音質化できるとは思えない作りだった。
けれど、何年もかけて技術を蓄積し、改良を重ねて、今ではかなりシェアを持っている。
90年代末期、ONKYOはPC接続機能を次第に標準装備するようになるのだが。
僕からすると「遅い」の一言である。
しかも、USB接続とか、対応OSだとか、様々な条件があり、対応機器のアップデートもほとんどしなかったので、取り付けたはいいが、あまり活用されないわけだ。
90年の後半と言えば、コンポの小型化が一気に進んだ時期であり。
「高音質の限界」に近づいていた。
つまり「これ以上小さく作ると、しっかり音が出せない」ということ。
とは言え、この流れだとさらに小型化を求められ、高音質化も求められるのは必然で。
価格も低価格競争になるので、分が悪い事は明白だった。
だから、早い段階でPC市場に参入して、ブランディングを構築し、オーディオ市場で作り上げたINTECシリーズのような、新たな戦略的シリーズを投入すべきだと考えていたわけだ。
いくら具体的なプランを営業に提示しても。
「宮本さん、いくら下の者が言っても、上は変わらないですよ」という。
「うちはそういう会社なんで。」「社長や役員も親族ばっかりだし」と愚痴をこぼす。
そして「それに私が定年するまでは会社あるでしょうから、それ以降のことまでは責任持てませんよ」だった。
ここまでを聞いて「ああ、この会社ダメになるな」と直感的に思った。
今すぐではないけれど、将来、倒産という可能性の芽があると。
それがついにやって来たということだろう。
恐らく、僕の頃、担当してた営業はもうさすがに定年で辞めてるだろう。
けれど、もし生きてたとして、このニュースを見て、30年近く前に僕が散々、言っていた事を思い出すだろうか?
オーディオメーカーがバタバタと潰れ始めたのが90年代。
この時から、すでに倒産への道筋はついていたのだと、僕は思う。
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