2015年7月15日水曜日

喪に服す。

任天堂の岩田社長が急逝された。

あおぞらにっきとは全然関係のない話だが、個人的にはこの方の存在はとても大きい。
7月13日の朝からショッキングなニュースが飛び込み「ありえねぇ。。。」と、まったく意味が分からなかった。

昨年の六月ごろに胆のうがん摘出手術を急遽行い、退院後に現れた姿は急激な体重減少から体調不安も危惧されてはいた。

ただ、その後は順調と聞いていたし、見た感じもだいぶふっくらし始めていたので、多少安心していた矢先のことである。

つい三週間ほど前には、株主総会にも出席をされていたわけだし、体調が急激に悪化する予兆を感じる事が無かったわけだ。

岩田社長の年齢は享年55歳。

高校生の頃からポケコンをアルバイトで買い、自分でプログラムを習得した天才といわれた人。
ただの天才ではなく、かなりの苦労人でもある。

大学生時代にアルバイトをしていたHAL研究所というソフトメーカーへ就職をするが、赤字に転落し経営危機に陥る。
しかし、任天堂からの支援を受け、HAL研究所の社長へ抜擢され6年ほどで返済したらしい。

HAL研究所で有名なのはファミコン用連射コントローラー「ジョイボール」。
時代はシューティングゲーム全盛期で、高速連射が可能なコントローラーはヒットしたアイテム。
ただ、自社開発で販売したソフトでは、たいしたヒットソフトは生まれていなかった。

任天堂とはかなり古い付き合いなわけで、FC初期のタイトルであるピンボール・ゴルフ・F1レース・バルーンファイト・マッハライダーなどは、HAL研究所で開発されたものだし、プログラムは岩田社長が作ったものだ。

当時のHAL研究所のゲームといえば、クソゲーのレッテルが貼られる事もあったわけだけど、プログラムの技術水準は高く、「任天堂も一目置いていた。」というのは業界では有名なお話。

今では世界的にヒットしている任天堂の「星の子カービィ」も元はHAL研究所から「ティンクル・ポポ」という名称で発売される予定だった作品だし、FC後期に発売された「メタルスレイダーグローリー」はFCのレベルを超えたグラフィックと言われている。

HAL研究所再建後は任天堂の山内社長から呼ばれ、2000年に取締役経営企画室室長に就任。
二年後には、任天堂の社長へ抜擢される。

それから13年。

あっという間だったけど。
ゲームキューブの不調時代から、「ゲーム人口の拡大」というテーマを立ち上げ、ゲームボーイアドバンスの後継機種、ニンテンドーDSを発売。
当初、問屋・小売店からは「二画面やタッチパネルは売れるのか?」と不安視されていた。

実際最初の一年くらいは販売量はイマイチだったらしい。
同時発売をしたマリオも、ニンテンドー64からの移植だったわけで、新作ではない。

実際に販売が加速したのは、ニンテンドックスなどからで、爆発的に加速したのが脳トレが出た頃から。
それまでの任天堂に対する冷ややかな目線というのはあったと思う。

その後、ゲームキューブの後継機種Wiiを発売。
発売当初から爆発的に売れたわけで、「ゲーム人口の拡大」というテーマを見事に達成させた瞬間だった。

しかし、Wii本体は爆発的に売れたが、ソフトは任天堂のばかりが売れ、既存のゲームらしいソフトがあまり売れないという状態に陥る。

サードパーティと呼ばれるソフトメーカーは、Wii向けに特化したゲームの開発が増えなかった理由として、「ライトユーザーより一般層が厚いWiiはゲームを買ってくれない。飽きっぽい。とにかくお金を落としてくれない。」と嘆いていたらしいが、既存のゲーム開発路線で売り続けようとする姿勢が原因じゃないか?と個人的には思ってた。

元々、ゲーム業界としては時期主力ハードはPS2の後継機種であるプレイステーション3だと言われていた。

なので、開発には数年の歳月が掛かるわけで、急に舵を切る事は難しい。
しかも、Wiiという特殊なコントローラーやユーザー層に対して、新しく作るとなるとかなりの時間を必要としてしまうのも事実だった。

そんな中、サードパーティー製ソフトが売れないという突き上げは任天堂、つまり岩田社長にもやってくるわけだ。

Wii・DSの販売台数がある程度の大台に乗り、成長が鈍化し始める頃に、新型3DSの投入・そしてWiiUを投入するわけだが、新ハードへ移行するスピードが速くスムーズなユーザー移行が進まなかった。

よくどこかの社長がスピード重視というが、この時の任天堂の舵の切り方は早すぎたと感じている。
もう少しそのハードでユーザーを楽しませてからの方が良かったのではないか?とね。

とはいえ、ソフトが売れないハードとサードパーティからは認識され、成長が鈍化する事を懸念する株主からの突き上げもあったわけで、任天堂として何も講じないわけには行かなかったのだろう。

しかし、そんな事も知らない素人記者達が一斉に「任天堂赤字」「任天堂不調」とまくし立て始める。
記事として売れる事が分かると、任天堂バッシングは加速し、岩田社長退陣論まで書き出す始末。

3DSは本体値下げ効果もあり、販売台数が回復。
売上げの大きい北米では廉価版2DSを投入するけど、年末商戦はそこそこの結果しか出なかった。

新型3DSの投入も北米では少し遅れてしまい、年末商戦に間に合わず。
トモダチコレクション北米版では「異性間で結婚できないのは性差別だ。」とかニュースになる。
これって日本版の移植だから、最初から分かってる事なので、そのシステムを狙った単なるクレーマーなのよね。

そして問題のWiiUはソフト開発の遅れが全てのソフトに及び、普及速度がさらに鈍化。

業界全体がコア向け開発に勤しむばかりに、一般層やライトユーザーが見向きもしなくなり、全体の売上げが下がる中、サードパーティーも特殊な二画面コントローラーに特化した開発はせず、従来のコアゲーマー向けゲームばかり開発。

こんな感じでゲーム開発時代からだと約30年、任天堂の社長に就いてからは13年間も戦い続けた岩田社長には本当に大変だったと思います。

心からお悔やみを申し上げると共に、ご冥福をお祈りいたします。
どうか、天国でゆっくりとお休みください。

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