Qってゲーム機の動画を見て、いろいろ思い出したので、メモ代わりに残しておく。
当時店頭で販売してたけど、誰も見向きしなかったよ。
そもそも販売戦略上の事を言えば、まともにCMすら打ってないし。
新聞、雑誌などの広告も無い。
M2計画がとん挫したパナソニックであり、任天堂はソニーフィリップスと揉めて、信用を無くし協力関係を結べなくなったんだろうと推測しているんだけど、まず光ディスクを採用出来ない状況から、パナと組む事となったと思う。
すでに、パナでは3DO事業は黒歴史扱いに近く、誰も本気でやろうとは思ってなかったんだと思う。
わざわざゲームの事業部まで作ったんだけどね。。。遅れてだけど。
それも解散してしまい、MSX、3DOでの失敗や経験が全く生かされないまま、こんなものを作ったのだから、ほぼゼロベースでやってるのと同じだったと思う。
特にひどかったのは3DOで、それまで冷蔵庫や洗濯機を担当してた白物家電出身が急に担当させられてしまい、ちんぷんかんぷんな事を言って、ゲームの歴史や事業について勉強もせず、現場に出向く事も下っ端にさせて報告させてるだけで、後手後手に回った挙句なんでな。
だから、これは憶測だけど、Qを出すとしても、誰も担当になりたがらなかっただろうと思う。
大量の在庫抱えたまま、苦労した記憶もまだ残ってたはずだし。
それがそのまま、本気度を示す結果となり、無難に販売できる量しか作らなかったんだろうと思うよ。
ソニーが本気でやったのとは対極ではある。
さすが、音楽や映像を専門でやってた会社を持ってたからだな。
ハード屋とソフト屋ってのは、相互理解って得られにくいのは昔からだし。
同じようなものだと、パイオニアから出ていたレーザーアクティブってのがあったが。
パイオニアは「コンテンツが無ければ普及しない」って名言してて、積極的にLD版ゲームの開発をソフトメーカーに依頼してたんだけど、実写やアニメと同時進行でゲームを制作するって、スケジュール的に厳しいのよ。
しかも、参入メーカーは色々あったと思うけど、ソフトは思ったほど出なかった。
実写やアニメを依頼するにも、金や外部企業との協力関係が必要だし、監督やメイク、演出やシナリオなど、ゲームのノウハウだけでは作れないってんで、弱小ソフトメーカーだと、更に厳しいわけだ。
そうしているうちに、次世代ゲーム機戦争に突入し、PS、SSが登場。
そこまでは、業界全体が動画圧縮技術による実写、アニメが主流になると踏んでた。
だから、PC-FXやプレイディアってのが出てくるわけで。
けど、実際にはポリゴンへ向かってしまった。
その決定打になったのが、メタルギアソリッドで、CGで別デモを作ったり、アニメパートや実車パートを作るという発想から、すべてローポリゴンで作り、後はカメラワークだけで作れると証明してしまった。
と言う事で。
単にDVD機能が搭載されているか?されていないか?という単純な問題だけではもう無くなっていた。
まあ、PS2でDVDの普及もひと段落した後なんで、魅力が薄いってのはあるんだけど、すでに顧客のニーズは「DVDで録画」という方向に向いていた時期に差し当たっていた。
PSXがあまり売れなかった理由も、このQに似ていて、別々のハードを合体させたことで、操作に一貫性が無いとか。
動かないソフトが一部あるなど、見えにくい部分で不評だったんでな。
で。
この時も確かパナは「これはゲーム機ではありません」とかほざいてたんでな。w
3DOの時から、何も学んでなかったわけだ。
対局に位置するソニーは「ゲーム機、おもちゃと言われたくないが、今はそう言われても仕方がない。いずれそう言われないようになる」と意味深な事を初代PSで言っていて。
それがPS2で実行され、PS3のようにメディアプレイヤーという設計により近づくわけだ。
まあ、過渡期だったとはいえ。
今しか見なかったパナと先を見据えた事業展開を現実にやったソニーって感じで。
この当時「とは言え、ソニーも口だけで終わるんじゃないか?」と思ってたくらい。
ちょうどゲームの年齢層(第二次ベビーブーム)が20代にシフトアップしたんでな。
就職などで可処分所得が増え、趣味に金を出せる世代になった事も大きい。
たまたまだろうけど、見事にその戦略が当たったわけだ。
とはいえ、業界内ではキューブの方がゲームが作りやすく、グラフィックについてはPS2より上っていう事で評価は一致していた。
しかし、一度勢いがつくと、性能云々だけで決まらないのがこの業界の歴史。
FF、DQが無く、それに代わる看板タイトル不在だったのは間違いない。
最後に、個人的には「コントローラーがデカイハードは売れない」というジンクスを25年も前から言ってるんだけど。。。ね。
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