商売やってて一番楽しい時期ってのがある
それが「草創期」
まだ何もない、途方なまでの土地だけがある状態
道も無く、建物も無い
この状態で
「売るものはある」「売れる物もある」
だと
あとは
「誰がやる?」にしかならない
誰がやってもいいのだが、誰がやっても「正解」にはたどり着かず
「思い付き」と「勘」でやるしかない
その中から小さな「正解」を見つけて
それを繰り返してゆくうちに
「大筋」という道が見えて来る
例えるならば、あちこち歩きまわって
美味しい果実を見つけては、あちこち歩き、また見つける感じ
これを繰り返すと、次第にそこへの道が出来てくるわけだ
テレビゲームの中古ショップという、まだ誰もやって無かった商売で
開始が88年か89年ごろ
俺が店に入り浸るのが90年ごろだ
この時期だと、まだ「街のおもちゃ屋さん」がそれなりの勢力を持っていた
テレビでコマーシャルをするくらいには金も持ってた様子だし
「おもちゃのお城♪きりや♪」なんてローカルCMまであったくらいだ
中古ショップは台頭したばかり
しかし、内実は「質屋」でしかない
でも、この当時の質屋ってのは、入り口と出口と二か所あって、人に見られないようひっそりと商売してた
質で買取したものは、どこかの大型会場を借り切って「質流れ品」として広告を売って大々的に売りさばくってのも、よくある光景だった
この流れを大きく変えた存在が「中古ゲームショップ」の登場だ
今では、貴金属の買取、衣服の買取他、普通に店を構えてやっているが
あれもすべて「質屋」である
どう判別するか?だが「古物商免許」が無いと商売出来ないのである
買取が出来る店はすべて古物商免許を持っているわけだから、必然的に質屋なのだ
仮にゲームショップが違う商品、本でもなんでもいいが、買取できるか?というと
恐らく拒否されるだろうが
別に買い取っても問題ない
だって「質屋」なのだからw
質屋という大筋の道はあって、商売として正解もすでに確立していた時代
「ファミコン」という新たな商品が現れて
恐らくこれを買い取った店はあるだろうし、買い取って店に並べているのもみたことがある
だが、しかし、ファミコンカセットの適正価格というものを、店主は知らない
だから、買取も販売も桁違いに場違いな値段設定が行われていた
まだ、子供同士のカセット交換(貸し借り)において、自然発生的に起きた「レート」の方がよっぽどまともな適正レートだと思えた
例えば、「スーパーマリオブラザーズ」一本借りるのに「ダウボーイ」「1942」「頭脳戦艦ガル」って三本つけても「うーん、、、」という反応になりやすく
ここに「ゲゲゲの鬼太郎」「タッグチームプロレスリング」と5本つけてようやく「まあ、いいか」というレベルで貸し借りが成立していたわけだ
さすがに子供同士で「売買」をするという程度には至っていなかったが
中学生になると、少し「売買」に近しい取引が行われていた様子だ
この時代に新たに現れた「中古ショップ」という存在は
そんな草創期に当たる
誰しも「勘」と「主観」で物事を判断してた時代に
「資本主義」が導入されたようなもんだ
特にブルートの価格設定はかなり良く
さじ加減が微妙に良かった印象だ
そしてその価格の元になるものは「在庫数」だった
在庫数に合わせて適正価格が決められてゆくわけで
これ以上の「正解」は無かっただろうと思う
それまで子供の感覚だと「人気」「売れ筋」「新作」とかだった
人気があるからレートが高い
売れ筋や新作だからレートが高い
これらを真向から否定する存在
それが中古ショップだった
俺も最初は「なんでこれがこの価格?」と困惑したが
「価格は在庫で決まる」と店長が言ってから、考えを改めるよう努めた
すぐに思考は変わらない
でも、だんだんと理解してくる
高校1年生の頃から3年生になる頃には、頭の中にだいたいの価格イメージが入っていて
「このソフト」って言われたら
「ああ、、、たぶん、3千円くらい」とかだいたいの価格が言えるくらいになっていた
この価格は常に変動するもので、今でも変動ありきで「今ならこのくらい?」という予想はしていて、だいたい合っている
展示方法についても、「前例がない」という状態なので
どこの店に行っても、陳列方法が異なる
それが店の特徴にもなっていたが
今だと「そんな売り方どこもしてないよ」と言われるだろう
例えば、ソフトを裸で買うなんて当たり前で
CDが出て来ても、裸で買取してる店が普通にあった
説明書が無いのは当たり前
あっても別売り100円とか
俺はこれが気に入らなくてな
「最初から箱説セットで買い取れよ」である
だからブルート呉店では店長に言って
箱説セットで買取する方針を導入してもらった
完品に近い状態の中古ばかりなので、お客さんからの反応はいい
中には中古には見えない新品みたいなものまである
それを買って顧客が喜ばないはずがない
「どうせ中古だろう」という残念な気持ちと
「あれ?これホントに中古か?」と思える品
どっちがいいだろうって言うまでもない
そして、ほとんどの中古ショップが前者であるわけだから
ブルート呉店が特異な存在だったと言える
ここで差別化が出来て
さらに、陳列方法についても、図書館のようなカテゴリー分け方法を導入した
あの当時は知らなかったが「日本十進分類法」ってのがあるらしい
俺は本屋を見真似て自然とこれと同じ分類をしていただけだった
参考にしたのは本屋とレコード店
どちらもいいのだけど、本屋の方法が一番近い方法だと感じた
レコード店だと「あかさたな」順になってしまうんでな
これだとカテゴリー分け出来ん
レコード店ってのは、邦楽、洋楽みたいな分け方はあるが、どっちかというと、タイトルの頭文字で管理してるのが強いのよ
逆に本をタイトルの頭文字で管理してたら「なんだこれ?」になってしまうわけだ
だから、タイトルでも管理するが、カテゴリー分けの方が強いわけね
ゲームソフトを考えると、本屋の考え方が一番近いわけだ
例えば、スーパーファミコン時代にはタイトルの頭が「スーパー○○」とつくタイトルばかりで
中身はアクションだったり、シューティングだったり、パズルだったりする
これじゃ管理できんわけだ
でもな、これも他店を見れば
「任天堂」「NEC」「セガ」みたいな区分けしかしてない店が圧倒的だった
だから、ファミコンもゲームボーイもスーパーファミコンもごっちゃに投げ込んでるような状態になる
お客さんからしたら「どれがどのソフトで、どのハードで動くのか?」さっぱりわからんわけだ
わかっているのは子供だけ
だから、中古ショップってのは、子供が入り浸るわけだが
大人がやって来ても「わからん」って思って買わずに帰るわけさ
それがブルート呉店だと「わかる」わけだから
大人ばっかりやって来て
どんどん買ってくれる
しかも大人の財布だから、PCエンジンのようなCDドライブ49800円なんてものでも、バカスカ売れるわけだ
自店と他店の違いによる差別化
その時代の背景を理解した売場
今という時代に応じた展示展開
これらを実行したに過ぎないが
よくもまあ、あんな最短で、最適解に近づけたと、今のオイラでも驚くような慧眼だったと思う
そして、それを否定せず、導入に踏み切ってくれた店長に感謝しかない
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