2023年9月30日土曜日

プラモデルと友達と商売と

 ゾイドがなぜ売れたのか?

実は、未だによくわからない


アニメ化されたとき、売れたのは事実だけど

その前、「どうしてこれが売れてるのか?」なぞだった


当時の商品展開として

アニメ化から派生するのが当たり前だったからだ


同じようなのだと「ロボダッチ」

これもなんで小学生に人気だったのか?さっぱりだ


そしてガンダムもその一種だった

アニメが放映されてた時は幼稚園

ガンプラブームになるのは小学一年生

当時、アニメを見てて「暗い」「早く終わらないかな」って思ってたほど


子供のころの自分はかなり保守的で

革新的、新しい、ほかにないってものに興味を持たない子だったと思う


せいぜい「少し新しい」くらいがちょうどよく

しかも、理屈と整合性があり、なおかつ、娯楽として楽しめることが第一優先だった


物語のプロットに魅力を感じないと作品としてはダメだと思っていて

当時、一番、プロットとして完成度が高いと感じていたのが「時代劇」だった


時代劇ならなんでもいいわけではなく

「遠山の金さん」「影の軍団」「必殺仕事人」「子連れ狼」とか

逆に「水戸黄門」「暴れん坊将軍」「大岡越前」とかは馴染めなかった


なので、今でも思うのは「ダイターン3は構成が時代劇だよな」と感じる

完全に時代劇を模した「ダイオージャ」なんてものもあるけどw


基本的に、当時のアニメは一話完結であり

主人公が旅に出たり、もしくは、毎回、ゲストキャラが出てきたりして、それを軸に悪役が出てきて悪事を働き

最後は印籠だして成敗して終わりってな流れが定番だった


なので、そういうプロットも無ければ、見る機会もない商品をプラモデルにするとか、意味不明なのだ


熱心にやってる子に聞くと

「あるよ」って言うのだけど

それは説明書に描かれているらしい


僕は当時「それは買わないとわからないじゃん?」って思ったが

その子は「自分が買って読んでるからそれでいい」というスタンスだった


僕は「へー、そういう自分の内側で生まれる娯楽もあるんだ」と衝撃を受けた


同じようなことで言えば

ガンプラのMSVがそれだったし

タダのガンプラを自分でオリジナルに塗装したり、オリジナルの設定を加えてる子がいて「え?」と思った


そうして「物語はこうやって生まれるのだな」と気づかされた

同時に「僕には向いてない」とも感じた


この時の僕はまだ、自分が何者であるかを自覚していない

しかし、顧客の遊び方から商品がなぜ?売れるか?ということを学び取っていたわけだから、そもそもの素養が商売人だったと今では思うのだった

2023年9月25日月曜日

ファミコン版、沙羅曼蛇の思い出。。。(*'▽')

 ファミコン版、沙羅曼蛇

発売は1987年9月25日らしい

定価は5,390円

実はこの時、ケムコのグループ店舗でピコムってお店で「1周年記念」ってチラシが出ていて

発売日当日なのに「特価2000円」だった

当時、毎月の小遣い2000円で、全額つぎ込んで買ったわけだ

人生で初めて、自分で買ったゲームがこれ

買った翌日だったかな?

中学校の行事でレクレーションがあって、一泊したのよ

「やりたい」という衝動を抑えて

「これが終われば、家に帰ってできる」って思ってたわけだ

しかし、一泊するその夜

同級生の奴ら、寝なくてな

騒ぎまくってて

数人で遊んでるのか?プロレスしてるのか?もみ合ってたのよ

そしたら、一人俺の布団に倒れ込んで来やがって

その時、左腕にのしかかったのよ

で「グギッ」って音がして

あまりに痛むので、レントゲンを撮ることになり

医者曰く「折れては無いけど、穴が開いてる」という

どうやら上から乗っかったので、小さな空洞ができたらしい

お陰で左腕包帯ぐるぐる巻きで帰ることになった

家に帰ると「ファミコン出来ねぇ」なわけ

せっかく、土日だったので、やり込む予定だったのに

結局、1日だけ我慢して、2日目には包帯外してゲームしてたwww

たった1日しか包帯してないのに、親指動かなくてな

驚いたぜ

「うぅうう、腕が、指が、痛い・・・」って思いながら、沙羅曼蛇してたwww

なぜか?あの頃はゲームすることだけは根性入ってたのよね

2023年9月16日土曜日

昭和63年ごろを思い出す

 あの昭和63年(1988年)ごろの「時間が停滞」した感覚というのは、何だったんだろ?と感じる

何とも言えない、「時代の末期」のような

まあ、連日テレビをみてれば、テロップが流れて

昭和天皇の情報が流れるたび「下血〇cc」ってな

どう考えても崩御するのは時間の問題だった

昭和64年(1989年)を迎えたが

1月7日に終わりを告げた

この時、まさしく「動乱」の時代を予感させた

これまでのような安定した社会ではなくなると

そして、1月8日、早々に「平成」という新しい元号がスタートした

この時、自分は中学三年生

まだ、高校も決まっておらず

自分の将来など漠然としていた頃だった

しかし、ここから「時」は動き出す

4月から高校生になり

5月からアルバイトをはじめ

同月にはブルートの店長と知り合い

僕の販売や営業というキャリアがスタートしたようなものだった

しかし、街を見渡せば、でっかいビルが建ち

大企業が看板を掲げて支店を多く持つ

この時「これらが消え去らないと、次の時代はやってこないんだろうな」と思った

だから「20年?30年?先に、新しく始まるかも?」と思ったのだが

実際、あれから約30年経過して、日本は作り変える時期に入ったのじゃないか?と思う