PCエンジンが初期の立ち上げに成功したのを思い出してみるのだけど
恐らく、最初に成功したのは「ビックリマン」と「カトちゃんケンちゃん」で
1987年10月30に本体「上海」「ビックリマン」が発売され
1987年11月30日に「カトちゃんケンちゃん」が発売された
1987年のヒット商品とヒット芸人というダブルパンチを食らわせているのだから、そりゃ強いに決まっている
とはいえ、ここまでだと
単に「映像が綺麗な新しいゲーム機」なわけだ
「ザ・功夫」であってもせいぜい「キャラがデカい」ってだけ
1988年3月25日発売の「R-TYPEⅠ」の発売で、一気に知名度が上がる
当時の売れるキーワードは「完全移植」
ⅠとⅡで分割されたが、概ねACでの攻略方法がそのまま使え
見た目もほぼ完全移植だった
で
発売初期にマルチタップが発売されてて「何に使うん???」な状況だったが
1988年に「遊々人生」「プロ野球ワールドスタジアム」「パワーリーグ」「プロテニスワールドコート」と発売し、2人で遊べるソフトを用意したことだ
メガドライブが初期の立ち上げに失敗したのは
まず、キラーソフトの不在
そして、一人で遊ぶゲームばかり
だったことが上げられる
この後、1988年後半からは「ファンタジーゾーン」「スペースハリアー」「ドラゴンスピリット」「ビジランテ」とゲーセンで人気だったタイトルの移植が相次ぐ
ここまでくると、アーケードからの完全移植、2人で遊べるゲーム、その他いろいろなタイトルが揃っているわけで
年末に向けて「買い」の一択になってくるわけだ
当然、テレビゲームの主戦場は年末クリスマスなので
ここまでに、これだけのタイトルと豊富さを持っていれば、目新しさもあるし、興味もそそられる
1988年12月4日に「CD-ROM²」を投入
ここへ来て、ようやく発売当初から告知されていたコア構想が出揃った感がある
しかし、対照的にCD-ROM²は立ち上げ時に苦戦する
理由ははっきりしていて
「ファイティングストリート」と「No・Ri・Ko」の2タイトルしかなく
3つ目に関して言えば「ビックリマン大事界」なんていう辞典モノだったせいだ
6万円近くもするCD-ROM²で、本体が24,800円だから合計で8万円クラスの買い物をして、このレベルだと失望されるに決まっている
第4弾となるソフトも「コブラ黒竜王の伝説」なわけだが
コブラはアニメ化もされていたので知名度はある
しかし、年齢層が高い
そして、当時のPCエンジンの主な客層は小学生、中学生だった
高額なPCエンジンと周辺機器を売るには、年齢層を意識して高めを狙ったのだろうけど
1988年代では、まだ「ゲームは子供のが遊ぶもの」という風潮の時代であり
大人が大枚叩いてゲーム機を買うという流れは限定的だった
「No・Ri・Ko」「コブラ黒竜王の伝説」は明らかに、対象年齢高めの設定であり
販売戦略としては理解できるが、これが「売れる」という線でない事は明らかだ
当時、起用するのは難航するだろうし、調整も難しいだろうけど
本気で芸能人を扱うなら「おニャン子クラブ」くらいぶつけないとダメだと思った
そして1989年6月30日「世界初CDを使ったRPG」というキャッチフレーズで大量の広告も雑誌の特集もされたのが「天外魔境ZIRAIA」で
結果から言えば「RPGとしては普通、ただ読み込みが長いだけ」という烙印を押された
この後、いろいろ発売されるが、開発が難航している?もしくは方向性で悩んでる?と思われる時期が続くのだけど
1989年12月21日に発売された「イースⅠ・Ⅱ」で、その方向性を掴む
ただし、当初から爆売れしたとは言い難く
すでに購入していたROM²ユーザーが「ほかに遊べるものない?」的な購入だった点が上げられる
「このソフトが凄い」「やるべき」のような論調が広まるのは、実質、この発売の半年から1年後くらいだ
それくらいROM²はユーザーに認知されなかったし
興味すら持たれていなかった
僕も雑誌では知っていたけど
現物を見る機会も無く
誰も所持してなかったでな
始めてCD-ROM²とイースに触れたのは、1990年の7月か8月くらい?
ブルートの店長が店の裏に入れてくれて、見せてくれたのが最初
現物見て「これは欲しい」と本気で思った次第
てか、この頃、店長、他のお客さんにも同じように見せることがあって
現物見せたら、お客さんの反応がえらい違うものだから、率先してやってたのよね
そういう地道なことをして、PCエンジン、とりわけ、CD-ROM²を持つ優良顧客を作って行った感じ
たぶん、本人に営業的な考えは皆無で
ただ単に「すげーだろ?」って見せたかっただけ
なので、結果的には数字を伸ばせたので成功なのだけど
この当時、そういう営業的な発想で商売している中古ショップは皆無だった
現に、当時のゲームショップの大半はモニターすら置いてない店がほとんどで
メーカーからプロモーションビデオが送られて来ても、テレビデオすら無かった店がほとんど
せいぜい、店の店長がビデオを家に持ち帰り、それを見て「売れるかもな?」と思えば仕入れるってくらいの扱い
なので、ビデオも「店頭用」とかじゃなく「販売店様用」とか書かれていたはずだ
これが1990年代に入ると、テレビデオの低価格化が進み、ビデオデッキ、小型テレビも安くなるので、店頭でビデオやゲームを流す事が当たり前になる
しかし、PCエンジンのゲームを店頭で流す店はほぼなくて
主流はファミコンとスーパーファミコンだった
一時期、メガドライブが店頭モニターで使われていたけど
あれはセガがソフトを用意していたようで
「スーパー忍」と「孔雀王」だった
そして、PCエンジンでは店頭用に流すためのソフトってのは、1本も送られて来た覚えがない
まあ、代わりに店独自の判断で、「スナッチャーパイロットディスク」とか雑誌に付録でついてたCDを使ってた事はある程度
僕は当時から「PCエンジンは売れている方だけど、見せ方、売り方は下手」という印象を持っていた
さらに下手だったのがセガだったのは言うまでもないw
任天堂の広告が一番効果的で、かつ目立っていた
それはテレビCMが主流の時代だったので
ゴールデンタイムに大量にぶっこむわけだ
しかも、クオリティの高いCMを
逆に現物を見せると粗が分かるので
絶対、中身は見せないw
あの販売戦略は「ひでぇ」と思いつつも「嘘を言ってないから質が悪い」とも思っていたw
かくして、この時の戦いは
PCエンジンは「完全移植」で一時は注目されたけど
ゴールデンタイムに質の高いCMを大量にぶち込む任天堂に軍配が上がったと僕は見ている
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