2023年8月24日木曜日

福島漁連が海洋放出に、執拗に反対する理由を前から指摘してた件について

 前からおかしいと思っていて

福島の漁連がずっと海洋放出に反対してたので

僕は「たぶん、政府から金か、制度か、なにか引き出すつもりで、この騒ぎに乗じてしまえと考えてると思う」なんて発言してたら

「全漁連が反対する理由なんかあるかな?」とか言われたのよ

結局、僕の読み通り、福島の漁業関係者には9割の休業補償が行われていて

震災後、ずっと休業補償だったようだ

そりゃ、本格的に海洋放出始まったら、休業補償も打ち切られるわけで

なんとか、理由を付けて阻止したいって腹づもりは理解できる

これは沖縄米軍基地移転問題と根っこは同じ

あれも米軍基地の土地には地主がいて、毎年多額の借地料を払っているから、移転が完了すれば1円も金が入らなくなるわけだ

政府と地元住民との間で、合意形成が出来ず

延々と反対運動が続く裏には、必ず「金」の存在があると僕は見ている

結局、ゴネ得なわけよ

なんせ、報道では一切、補助金や保証金など、言わないのでな

一方的に「政府が悪い」に終始する

考えてみたら、こんな悪質なマッチポンプはなくて

地元住民が被害者面をする

マスコミが報道する

政府は地元住民へ説明と金を支払う

地元住民が反対を続ける

政府は金を支払い続ける

マスコミは補助金や保証金を報道せず

地元住民が被害者面をする

このネタを何度も使ってマスコミは儲ける

こんな具合で、延々と続くわけだ

だから「テレビ捨てろ」というし「新聞なんか購読するな」ともいうわけよ

今の時代、マスコミ使わなくても、当事者が直接SNSで発信出来るでな

事実を伝えない、裏を取らない、仕組みを調べない、恣意的な記事を書く

もはや、日本のマスコミはゴシップ紙なのだ

これは僕が30年以上前から指摘していたことで

当時、「そんな疑ってばかりじゃいけない」「テレビが嘘を言うわけがない」と、散々言われたでな

こんな前から気づかせてもらえたのは、ブルート呉店の店長のお陰

あの人に僕は質問した「総会屋ってなに?」と

「あ?あれは、ゴネて暴れて、金を要求して、企業から、金をもらったら帰る仕事よ」とw

この時「世間で揉めてる原因って、金か」と気づかされた

どこの新聞にもテレビにも、そんなこと一言も書いて無かったでな

2023年8月23日水曜日

家電量販店時代の苦労話

小学生~中学生にかけて「ゲームの流通とは?」と考えていて

その多くの疑問は高校生時代にブルート呉店で知りえて、だいたいは理解した

この「だいたい理解した」という部分で、僕は十分で

元々「感覚派」らしいので、全体の流れや総量がわかれば、あとは肌感覚で理解してしまう気質なわけだ

これは仕事としてみた場合、かなり危ういw

けど、そういう風に身についてしまったのだから、反面「しょうがない」

肌感覚で覚えてるものだから、「これ何本売れる?」となれば、即断で「20」とか言えるわけだ

これは店規模というか、売り上げ規模にも対応していて

「この店なら5本だな」とか、そこにも応用できる

僕がデオデオネバーランド本店でゲーム担当やっていて

その次にデオデオ佐賀本店ネバーランドへ勤務しても

店規模が大きく縮小するわけだけど、なんら困らずいたのは、そういうことだ

逆を言えば、佐賀本店でも「MAXここまでなら売れる」という最上限もわかる

佐賀本店時代

本部から送られて来るネバーランドの計画予算、当初こそ本部がミスってアホな計画になってたけど

翌年からまともな計画数値に落ち着いた

このまともな数値計画を見て思ったのが「楽勝」だった

実際、計画に対して130~160%くらいで推移していたのでな

けれど

5年くらいネバーランドに在籍してたけど

上司、同僚、部下からは「宮本さん、なにやってんすか?」レベルで理解されないで終わった

これは家電量販店と言う、ルールというか、文化というか、そういう事から逸脱した存在だったと認識はしている

逆を言えば「異業種なんだから当たり前」なわけだ

が、これが理解されなかったわけだ

この部分は、未だにストレスを感じる

「数字はやっている」「ほかの人はそんなに売ってない」なわけで

数字だけ見れば、僕のやってる事が正解なのは間違いないのだけど

理解されないのだから、正解と思われないわけだw

元々ゲームの販売はデオデオ広島本店のみの扱いだった

なので、前年と比べられず、まして店規模によるデータも無い

であれば「こいつの言ってる事、やってることが正しいのか?比較できない」というわけだ

実際問題として、僕が抜けた後のデオデオネバーランド本店はゲームの販売力を失い、達成率で1位から2位、3位へ転落した

そして、最下位だった佐賀本店は、僕が在籍してから達成率で1位になった

これ以外、他に説明のしようがないのである

あの頃、まだ30代前半だったが

僕は幼少期から流通に興味を持ち、高校生で流通に携わり、経歴だけで見れば20年くらい積み上げて来たものがあるわけだ

だから、家電量販店で10年、20年、30年、勤めている人らがいても

圧倒的な知識量と経験で勝てるわけがない

逆を言えば、家電製品に限定してれば、僕に勝ち目が無い人だっているわけよ

社歴が長い人だとね

現実として、店長以下すべてのスタッフが、これに気づかず

そして、僕のバックボーンに興味すら持たなかった

これが理解されない要因だと自己分析している

一言でも「なんで知ってるの?」と聞いてりゃ話をするけど

自分からペラペラしゃべりなんかしない

ずっと怪訝な顔をされて「なんで?」って思われていた

アホくさいんで、相手にしなかったのもある

あの頃は、仕事に忙殺されてたしな

今は暇なんで、ペラペラと書き込んでるけどw

心の中では「もうちょっとアツく取り組める仕事ねぇかな?」みたいな気持ちはどこかにある

まあ、体調的にも体力的にも、厳しいので、難しいことは承知してるけど

いい時期を知ってるだけに、「もう一回、ワクワクしながら仕事してぇな」って思ってしまうわけよ

同時に3/3に透析を始めて

「もう、僕の時代は終わったな」って感じてる部分もある

「僕らが携わっていた、輝かしい時代は、たぶん、もう二度とやって来ないんだろうな・・・」と


家電量販店の文化は「接客」だ

接客しなきゃ物は売れない

しかし、CD、書籍、ゲーム、おもちゃというものは、基本的に接客を伴わない

「在庫」で商売している

家電量販店だと品切れや欠品があったとしても、それは接客を伴うものだから

後日配達、入荷ご来店など、方法はいくつかある

エンタメ商品というものは、在庫が無ければ客は帰る

「置いてない=扱っていない」とさえ思われてしまう

そして、一度商品が無く「ここは置いてない」となれば、ほぼ次の来店は無い

これは大原則なのだが

家電量販店には無い考え方なので、どうしても理解されにくい

そして、売り方なのだけど

接客を伴う反面、接客ツールなるものが存在する

それがPOP、ショーカード、機能タグなどだ

特徴となる機能、本体設置寸法、容量、馬力、消費電力と言った情報を提示することで、販売しやすい環境を作るわけだ

しかし、エンタメ商品にこれらを付けても、売上に関与しにくい

なぜならば、目的買いが主流で、これら商品情報は二の次なのである

が、家電量販店の店長はここにこだわる

店長に良く言われてたけど「お前の売り場は面白くない」と

これはショーカードやPOPが少ない事を指していた

確かに「あればいい」とは思う

しかし、売上に直結するとは思わない

むしろ、その時間を店のメンテナンスに当てる方が遥かに売上に直結する

入荷すれば即展示

売り切れれば即撤去

エンドの新作告知など、映像を流して、日付と価格さえ書き込んでいれば十分で

凝りに凝ったエンド演出をしても、予約の数が倍になることはない

僕の後任となる契約社員が、ドラクエ10のエンド作成に1週間もかけて作っていたが

「無駄」としか思えなかった

事実、その月の計画は未達だったでな

エンドなんて、それこそ欲を言えば、週ごとに変えてしまった方がいいくらい

ドラクエ、FFはさすがに3週間から1か月くらい前から続けるけど

他のタイトルは1週間が妥当

なので、エンドの作成には延々と時間をかけ

一度作るとずっとそのまま

そして、他の時間でショーカードを作る

じゃあ、店のメンテナンスは?

「そんなのやる暇がない=売り上げが悪い」

これが未達の理由だ

しかし、ここで気づかないわけだ

「売り上げが悪い=もっと目立つようにショーカード、POPをつけろ」となる

これじゃ、悪循環でしかない

そして、売れた商品の補充についても興味を失うので

ずっと欠品したままの売り場が出来上がる

残るのは、売れ筋の商品だけ

その他の商品は在庫なし

これは「売り上げが悪い=在庫規模を縮小せよ」という流れになる

家電量販店はキャッシュフローなので、月内仕入れ、月内販売が基本

僕はこの流れと対照的な仕入れをしていた

年度末、「決算なので在庫を圧縮せよ」と本部から言われる

売れ筋の商品だと、常時100~200本くらい在庫を持っていた

これを1週間の販売本数ギリギリの130本くらいに圧縮する

他の人だと、売れ筋を圧縮せず、在庫が1~2本の所を圧縮するのよ

なぜか?というと「普段売れてないから」というわけだ

しかし、この部分は「ロングテール」という法則から言えば、テール(尻尾)部分なので、ここを切るとお客さんは「無い店?」って思われてしまう

結果、全体での売れる量が減る

会社の考えというか、上司の考えとは真逆な方向を向いているので

まったく理解されない

「まあ、いずれ経験積んで、数字もみたらわかるようになる」と思っていたが

ダメだったwww


デオデオの分析方法で多用されていたのがABC分析である

これはWSに標準で搭載されている

大雑把に言えば売り上げの上位を占めるAもしくはBの在庫を持った方がよく、Cはあまり持つ必要が無いという考えである

ここまでで、僕が「在庫」にこだわる事と真逆だと理解できるはずだ

そして、「ロングテール」という考えとも真逆

なぜそうなるか?

一番の理由は家電量販店は「家庭用必需品」を売っていることだ

逆にエンタメ商品は「趣味趣向品」なので、生活に必要無い

ここが決定的に違っている

なのに、だ

テレビゲームの販売分析すらABC分析を使うのである

そもそも、使っている人に「ABC分析とはなんぞや?」という基本的理解が無い

「会社がこれを使えと言っている、Aを重点的に在庫持って売ってればいい」

単純にそう教わっているからだ

これ、支店だけじゃなく、本部の商品MDも同じ思考してたでな

説明しても理解出来ないんで、相当苦労したで

2023年8月22日火曜日

PCエンジンの思い出

 PCエンジンが初期の立ち上げに成功したのを思い出してみるのだけど

恐らく、最初に成功したのは「ビックリマン」と「カトちゃんケンちゃん」で

1987年10月30に本体「上海」「ビックリマン」が発売され

1987年11月30日に「カトちゃんケンちゃん」が発売された

1987年のヒット商品とヒット芸人というダブルパンチを食らわせているのだから、そりゃ強いに決まっている

とはいえ、ここまでだと

単に「映像が綺麗な新しいゲーム機」なわけだ

「ザ・功夫」であってもせいぜい「キャラがデカい」ってだけ

1988年3月25日発売の「R-TYPEⅠ」の発売で、一気に知名度が上がる

当時の売れるキーワードは「完全移植」

ⅠとⅡで分割されたが、概ねACでの攻略方法がそのまま使え

見た目もほぼ完全移植だった

発売初期にマルチタップが発売されてて「何に使うん???」な状況だったが

1988年に「遊々人生」「プロ野球ワールドスタジアム」「パワーリーグ」「プロテニスワールドコート」と発売し、2人で遊べるソフトを用意したことだ

メガドライブが初期の立ち上げに失敗したのは

まず、キラーソフトの不在

そして、一人で遊ぶゲームばかり

だったことが上げられる

この後、1988年後半からは「ファンタジーゾーン」「スペースハリアー」「ドラゴンスピリット」「ビジランテ」とゲーセンで人気だったタイトルの移植が相次ぐ

ここまでくると、アーケードからの完全移植、2人で遊べるゲーム、その他いろいろなタイトルが揃っているわけで

年末に向けて「買い」の一択になってくるわけだ

当然、テレビゲームの主戦場は年末クリスマスなので

ここまでに、これだけのタイトルと豊富さを持っていれば、目新しさもあるし、興味もそそられる

1988年12月4日に「CD-ROM²」を投入

ここへ来て、ようやく発売当初から告知されていたコア構想が出揃った感がある

しかし、対照的にCD-ROM²は立ち上げ時に苦戦する

理由ははっきりしていて

「ファイティングストリート」と「No・Ri・Ko」の2タイトルしかなく

3つ目に関して言えば「ビックリマン大事界」なんていう辞典モノだったせいだ

6万円近くもするCD-ROM²で、本体が24,800円だから合計で8万円クラスの買い物をして、このレベルだと失望されるに決まっている

第4弾となるソフトも「コブラ黒竜王の伝説」なわけだが

コブラはアニメ化もされていたので知名度はある

しかし、年齢層が高い

そして、当時のPCエンジンの主な客層は小学生、中学生だった

高額なPCエンジンと周辺機器を売るには、年齢層を意識して高めを狙ったのだろうけど

1988年代では、まだ「ゲームは子供のが遊ぶもの」という風潮の時代であり

大人が大枚叩いてゲーム機を買うという流れは限定的だった

「No・Ri・Ko」「コブラ黒竜王の伝説」は明らかに、対象年齢高めの設定であり

販売戦略としては理解できるが、これが「売れる」という線でない事は明らかだ

当時、起用するのは難航するだろうし、調整も難しいだろうけど

本気で芸能人を扱うなら「おニャン子クラブ」くらいぶつけないとダメだと思った

そして1989年6月30日「世界初CDを使ったRPG」というキャッチフレーズで大量の広告も雑誌の特集もされたのが「天外魔境ZIRAIA」で

結果から言えば「RPGとしては普通、ただ読み込みが長いだけ」という烙印を押された

この後、いろいろ発売されるが、開発が難航している?もしくは方向性で悩んでる?と思われる時期が続くのだけど

1989年12月21日に発売された「イースⅠ・Ⅱ」で、その方向性を掴む

ただし、当初から爆売れしたとは言い難く

すでに購入していたROM²ユーザーが「ほかに遊べるものない?」的な購入だった点が上げられる

「このソフトが凄い」「やるべき」のような論調が広まるのは、実質、この発売の半年から1年後くらいだ

それくらいROM²はユーザーに認知されなかったし

興味すら持たれていなかった

僕も雑誌では知っていたけど

現物を見る機会も無く

誰も所持してなかったでな

始めてCD-ROM²とイースに触れたのは、1990年の7月か8月くらい?

ブルートの店長が店の裏に入れてくれて、見せてくれたのが最初

現物見て「これは欲しい」と本気で思った次第

てか、この頃、店長、他のお客さんにも同じように見せることがあって

現物見せたら、お客さんの反応がえらい違うものだから、率先してやってたのよね

そういう地道なことをして、PCエンジン、とりわけ、CD-ROM²を持つ優良顧客を作って行った感じ

たぶん、本人に営業的な考えは皆無で

ただ単に「すげーだろ?」って見せたかっただけ

なので、結果的には数字を伸ばせたので成功なのだけど

この当時、そういう営業的な発想で商売している中古ショップは皆無だった

現に、当時のゲームショップの大半はモニターすら置いてない店がほとんどで

メーカーからプロモーションビデオが送られて来ても、テレビデオすら無かった店がほとんど

せいぜい、店の店長がビデオを家に持ち帰り、それを見て「売れるかもな?」と思えば仕入れるってくらいの扱い

なので、ビデオも「店頭用」とかじゃなく「販売店様用」とか書かれていたはずだ

これが1990年代に入ると、テレビデオの低価格化が進み、ビデオデッキ、小型テレビも安くなるので、店頭でビデオやゲームを流す事が当たり前になる

しかし、PCエンジンのゲームを店頭で流す店はほぼなくて

主流はファミコンとスーパーファミコンだった

一時期、メガドライブが店頭モニターで使われていたけど

あれはセガがソフトを用意していたようで

「スーパー忍」と「孔雀王」だった

そして、PCエンジンでは店頭用に流すためのソフトってのは、1本も送られて来た覚えがない

まあ、代わりに店独自の判断で、「スナッチャーパイロットディスク」とか雑誌に付録でついてたCDを使ってた事はある程度

僕は当時から「PCエンジンは売れている方だけど、見せ方、売り方は下手」という印象を持っていた

さらに下手だったのがセガだったのは言うまでもないw

任天堂の広告が一番効果的で、かつ目立っていた

それはテレビCMが主流の時代だったので

ゴールデンタイムに大量にぶっこむわけだ

しかも、クオリティの高いCMを

逆に現物を見せると粗が分かるので

絶対、中身は見せないw

あの販売戦略は「ひでぇ」と思いつつも「嘘を言ってないから質が悪い」とも思っていたw

かくして、この時の戦いは

PCエンジンは「完全移植」で一時は注目されたけど

ゴールデンタイムに質の高いCMを大量にぶち込む任天堂に軍配が上がったと僕は見ている