2018年6月23日土曜日

90年代の対戦格闘ブームの変遷を思い出していた。

90年代の対戦格闘ブームの事を思い出していて。

「そーいえば、対戦ブームと言っても、実際に根付いたのは1991年の年末だったような・・・」という事に気付いた。

調べると記憶と照合して、1991年3月からストⅡが出て来て。
爆発的なヒットが確定したのは5月頃だったと思う。

基盤が全く手に入らない状態になっていて、店に一台あるのが普通で、二台もあるのはかなり大変だったとお店の人から聞いた覚えがある。
たぶん、それが夏頃とかの話で、一台の筐体に2つのコントローラーがあるタイプに差し替えている所が増えた感じ。

んで、徐々に基盤が流通して来て、少し余裕が出て来たのは12月頃だったはず。
なので。
二つの台を向かい合わせにして6台とか10台とか設置をし始め出した光景を見たのは年末あたりのはずなのよ。

それで、少し時間が経過してから、ネオジオの餓狼伝説がヒットする。
発売された時期は同年の11月頃らしい。
発売当初は「ストⅡのパチモン」って呼ばれてた。

だけど、店に何台もストⅡ置いてあっても、全然プレイ出来ない人が多くて。
溢れた人が餓狼伝説やってる感じだった。

んで、ゲーセンに入らない子供もいて。
そういうヤツはプラモ屋とかおもちゃ屋の前に設置されてたMVSってネオジオで遊んでて、これが当時だれも台を占有するほど遊んでなかったから、小遣い使い込んでめっちゃ強くなってる子供(小学生とか)もおったのよ。

気づくとゲーセンの中にも餓狼伝説を対戦台にして設置する店が出て来て、確か「客付き悪いけど、おもろいからやる」って感じだった。

つまり、最初はノリだった感じがある。

けど、1か月もしたら状況が変わっていて、我狼伝説で対戦格闘をする人が増えてたのよ。
当然、値段も安いネオジオで、ROMの入手も楽なわけだから、簡単に設置をしていた。

たぶん、これは1992年の春ごろの話のはず。
この後すぐ、餓狼伝説のROMが全国的に手に入りにくくなった。と聞いたように思う。
先見の明があった分、早めにやったからよかったらしい。

つまり、餓狼伝説は発売から1年くらい経過して、遅れてヒットしていった感覚がある。

我狼伝説2や龍虎の拳が出てくると、状況が様変わりしていて。
もう「ストⅡのパチモン」という人は少数になっていた。

しかも、龍虎の拳はキャラクターが大きく、覇王翔吼拳を出す事が難しくて、それでいて見て、出して、かっこいいわけだから。w
そりゃ、人気も簡単に出た感じだった。

世間に認識されている90年代の格闘ブームってのは、このようにいくつかの段階を経て、確実に広がったわけで、歴史を語るうえで、このような細かな変遷を知っている人も40代に差し掛かっている。

地域によって多少の違いはあっただろうけど。
ネットも無い時代に、全国的レベルで同じ熱量が発生した事を考えると、当時感じた一体感というのは、その時代を生きていなければ体感出来ないモノだと感じる。

対戦格闘において、対戦をする相手とは無言であるものの。
そこには繰り出す技によって会話が成立していて、また礼儀も尊重されていた。

汚いハメ技や悪態をついてプレイする人はとても嫌われたものだった。

そういう意味では、それ以前の3k(暗い、怖い、汚い)を払拭したのは、店側の努力だけではなく、プレイする側の心の問題もあったような気がする。

あの時、確実にゲーセンはクリーンになりつつあり、灰皿の撤去など、悪質な客層は「来ないでくれ」という風潮すらあった。

しかし、それは全てでは無いのだけど。
やっぱりそういう思いでやってるお店はあったわけだし、そういうお店を支持したユーザーが数多く出入りしていたわけで、それも歴史の一部なんだと思う。

3kの雰囲気を残したままのお店は次第に淘汰されていった記憶しかない。

なので、照明設備を一新して、電球から明るい蛍光灯に代わって行ったし、店先のネオンからUFOキャッチャーに置き換わって行ったし。

明るい蛍光灯に変わった理由も、それまでのテーブル筐体をすべてやめて、アップライト型に変えた事が大きい。
テーブル型は反射するんでな。

店としてはかなりの出費だったようだが、客の回転率はあがったようだ。
なので、元は取れるだろうと言っていたはずだ。

つまり資金繰りが苦しい所は3kを引きずってしまったんじゃないか?と思うわけ。
あの、対戦格闘ブームがありながら、辞めて行ったゲーセンも結構あったのよ。

あの頃は、行くたびに店が綺麗になっていたり、新しいゲームが入っていたり、UFOキャッチャーも次々と新しいものが入っていて、本当に楽しい所だったのよ。

今だと、たまに行っても、ほとんど店の構成ってあんまり変わらないでしょ?
あの頃はレイアウトも含めて、コロコロ変わってたんだわ。

それくらい本気でやってたんだろうし。
入替も激しかったのかもしれない。

入替のローテーションが早くなっていて、基盤の価格や筐体価格も上昇してたので、地元では一プレイ50円が標準だったけど、かなり厳しくて、いつも「100円にしないか?」という話が出ていたらしい。

大型筐体ゲームは300~400万円くらいするので、どうにも苦しいので、導入当初だけ体感ゲームのプレイ料金を100円とか200円に設定した事もあったが、全然お客さんが乗らないので、下げざるを得なかったってのも聞いた。
懐事情はかなり厳しかったようで、どうやって回収するか?という問題はトータルで回収をするという方向性を向いていたと思う。

その回収の主なゲームは対戦格闘だったわけだ。
1プレイ50円でも、対戦をし続けてくれれば数分ごとに50円入って来る。
ゲームにお金が入る事をインカムというのだけど、このインカム率の高い対戦格闘ゲームが無ければ、90年代にゲームセンターは大量倒産してた可能性すらある。

海外ではアーケードと呼ばれるゲームセンターはほとんど無くなってしまったらしい。
日本も次第に減り続けているわけで、消費税を上乗せしにくい料金体系もあって、今後も継続出来るか、問題になっている。

しかし、オイラがゲーセンに入り浸ってた頃。
80年後半~90年代ってのは、顔見知りってのは多くてね。
名前も住所も知らないのだけど、仲良くなって話し込んだり、食事をしたこともあった。
今はどこで、何をしているのかも知らないのだけど、あの時じゃないと出会えなかった人もいるので、それは大事な思い出の一つだったりする。

ローカルな話題と当時の事を振り返ってみたわけだけど。
「まあ、あの頃は楽しかったよ。」この一言に尽きる。
今の若者があの頃のような楽しさを享受出来ないのは、少し寂しい気もするし、もう二度とやって来ない時代ってのはあるんだな。と気づかされる。

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