シン・エヴァンゲリオンの結末は見てないのだけど、ネタバレ動画見た。
主人公たちの最後はどうだったか?なんだけど。
その説明を見て「ああ、やっぱ監督の考えてることは、大人になれ」なんだなと思った。
これはかなり前にも発言してる事で。
「アニメオタクは逃げ場所を探していて、自分に居心地のいい場所にいたい、そして子供でいたい」的な事を言っていた。
それについてはオイラも同意する。
自分自身でさえ、そういう時期はあったし、ただ、それに気づいたのも早かっただけで。
店に立つ側にいたから、その分、早く脱却出来たと思ってる。
そして、店から見たオタクってのは、自分の世界とそのアニメなどの空想世界と融合や浸透したいってのが、よくわかる。
となれば、TV版エヴァンゲリオンでシンジが初号機に取り込まれて実態を無くしたのと同じように描写出来るんだわ。
逃げるってそういうことで、世界ってそういう閉塞した世界観だったりするわけだ。
それを映像化したから、当時から意味不明で正体不明なアニメに仕上がっている。
オイラは広島出遅れ放送された時、1話、2話くらい見たけど。
「なんじゃこりゃ」でしかなく。
ハッキリ言って、「なんでこれが社会現象になるのか?」だった。
一つ言えることは。
エヴァンゲリオンで描写される数々の演出ってのは、ほとんどがウルトラマンや宇宙戦艦ヤマトとか、すでに見たことがあるもので。
すでに経験済みというか、見たことがある年齢層からすると、何も驚かないだ。
当時、一つ下の後輩がエヴァにはまってたが。
他の誰もハマってなかった。
理由はたぶん、そいつの家、ウルトラマンも宇宙戦艦ヤマトも放送が受信できない難視聴エリアだったことだと思ってる。
そうなると、当時12~13歳くらいの子が衝撃を受けたって理由に説明がつくのよ。
オイラは当時、18,19くらいだったし。
そいつはその一個下なんで、年齢的に当てはまらない。
けれど、エヴァ以前を知らないから、当てはまったわけだ。
そんで、説明動画を見て。
「まあ、誰しも望む未来や結果はあるよな」と思うのだった。
今のオイラでさえあるんでな。
しかし、オイラの中にある未練ってのは「確定した過去」という必然が含まれる。
確定した過去は変えられないのよ。
泣いても悔やんでも。
過去、いくつもの人らと共闘したり、協力したり、喧嘩したこともあれど、いずれそれぞれの人生を歩む。
そして、目の前にあるのは、いつだって「現実」。
そう考えれば、シンエヴァンゲリオンの最後ってことにも説明はつくんだよなーと。
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