2016年12月28日水曜日

ちょうど一年前に書いた事なんだけど、改めて「そうだな」と思った。

『人生とは有限な資産である。』これは自分が思っていること。

人と接する時間は対価に匹敵する。と思っています。
自分より多くの知識や礼節、それに真心を持ってる方の時間は高い対価を私に支払ってくれていると感じます。

自分にとって役にも立たない、害悪すらある人物は逆に自分の価値を支払ってしまっていると思います。

なので、人から教えを頂く時は、その人の人生という価値(時間)を奪う行為であり、真剣に聞くことでその対価に応えなければならないと感じます。

人に助力を求める事があります。

そんな時は、余程の事でないと借りに行けないという心境になることもあります。
それは、やはりその人の有限の(価値=時間)を私のために使うからだと認識しているからだと思います。

その時は、ただただ心から感謝するしかないわけですが、いつか自分の(価値=時間)を相手に使う事を厭わないと思えます。

人は自分の好きなものに投資します。

欲しいものを買うために大枚を叩いたり、長時間待ち続ける事さえします。
しかし、それはストレスにはなりません。

人は自分が忌み嫌うものを避けます。

要らないものをタダで貰っても、まったく困るばかりで、迷惑にすら感じます。
それは耐え難いストレスとしか認識できません。

であれば。
人生も自分の時間をお金と換算すれば良いという考えです。
(自分の時間=自分の資産)は有限です。

その資産をどのように使い、どのように分配するか?
またそれによって何を得るか?を考えると、「自分が好きなもの」に投資した方が楽しいですし、より効率的に活動できます。

例え好きなことであっても、失敗はありますし、挫折もあります。
人から嫌われる事もあるでしょう。

しかし、考えてみてください。
自分が忌み嫌う事に投資した結果、失敗、挫折、嫌われる。としたら?

どちらが自分にとって前向きにチャレンジし続ける事が可能か?という事を。
それを考えた時、私は自分の人生を安い人生にしたいとは思わなくなりました。
だから、私は言葉に出して言います。

「オレの人生はそれほど安くは無いぞ!」と。w

この言葉を出す相手は、何度も同じ失敗を繰り返し、何度教えても聞く耳すら持たない人たちです。
しかし、彼らは自分のことを見下している。と思っています。
なんて安い人生なんでしょうか?

(自分の人生=価値)を低く見積もっているのは、他人ではなく自分であることに気づくべきです。

私はこれからも自分の人生が高いものである。と言えるよう、可能な限り努力し続けようと思います。

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